②「反・目的論」
「自然選択には勝利という目的すら存在しない。
偶発的な異変とそれがもたらした幸運と不運があるだけだ-因果論的な運・不運ではなく、
結果論的な運・不運である。
一つの結論として、ヒトが自然から選ばれたわけではない、という教訓が得られる。…
人間は進化の目的でも終着点でもない。…
人は内輪の目的を追求しているだけであって、宇宙や自然の観点からは
人のどんな活動にも価値はないし、どんな人生にもそれ以外の意味はない。…」
生物・人類の進化というレベルだけではなく、一個人の人生にもいえることだと
老いたいまは深くうなづく。
若いときは、「自然選択」というのは、自然が自然に選り分けした結果だから
選ばれた、生き残ったものは当然、「適者」なのだろうと単純に受けとり、
人間は「適者中の適者」「最高の適者」、「行く着く先」「到着点」と思っていた
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本は、上の引用部分だけではなく、全体に「人間っていいな」「人間バンザイ!」
というおめでたい調子ではない。
(かといって将来を悲観しているふうな内容でもない)
私としては引用最後のところ、
「人は内輪の目的を追求しているだけであって、
宇宙や自然の観点からは人のどんな活動にも価値はないし、
どんな人生にもそれ以外の意味はない」
という言葉が心につよく残った。
つまり、「宇宙や自然の観点からは」(自分が)人間であろうがなかろうが
(人間でなければそんな自覚さえ持てないわけだが)関係ない。
人間個々の生命維持と種の存続という生物としての基本の営み、活動も
(「生物」としての)「内輪の目的」であるけれど、ましてや
個々の生きがいはもちろん、人類としての文明、文化も「内輪の目的」にすぎない
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しかし、この「反・目的論」の最後にこう書かれていた。
「「知る」ことにこそ-または「知る」ことにのみ-ちょっぴり崇高な意味が宿る、と言ってもよい。
慎ましく人間を肯定するだけなら「知る」という使命で十分だ」
「知ってどうなるものではない」という言い方、「知れば知るほど不幸になる」
という言葉もあるくらい。
けれども、何ごとかを学び知るのは、人間にだけできること。
それが真理・真実の解明と実践につながれば、人類の歴史は長くつづく可能性が
あるけれど、そうでなければ破滅、絶滅の可能性があるだけ。
残念ながら、ふだんの生活、身のまわりの世界は平和で安らぐけれど、
見えなくとも広い世界、社会に目を向けると、きな臭い話がゴロゴロ…。
-オマケの話-
ウクライナを攻めるロシアの問題だけではない。
中国は台湾を狙っているばかりではなく(日本と同じように台湾も自国の一州であるかのように
ロシアのような大国中国を相手に、自分の後ろには大国アメリカがついているから安心とばかりに
日本も韓国も台湾も振るまう。
日本政府は今般、中国も北朝鮮なみの脅威の仲間に引きいれて防衛費を大幅に増やし、
自衛隊はその名のとおり「自衛」を目的にするも、「攻めこそ真の守り」のスポーツよろしく
「専守防衛」を破ろうとしているかのよう。
先日あったHKスペシャルドラマ『南海トラフ大地震』を見られましたか。
ほぼ30年以内に-ということは明日か今日かもしれない-来そうだという南海トラフ大地震。その対策
備えが国民のいのちを守るためには最も優先されなくてはならないというのに…
「津波タワー」の建設などやさまざまな地震・津波対策を講じなければならないというのに…