カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.12.22 大きな岩と小さな岩

今日は「大きな岩と小さな岩」という話。

 

        

             (グーグル画像より)


最初に、この寓話の教訓をいいます。

まず、大切なことに時間を使う

 

話のおおすじは次のとおり

       ↓

先生が子どもたちに、ある課題を与えた。

一つの壺に、さまざまな岩(いっしょに置いてある小石や砂利、水も使っていい)を容れて

満たさなければならないという

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子どもたちは先ず、岩をいっぱい容れ、次は隙間に小さい石、砂利を詰め、最後には水を注いで

壺を満たした。

「やったー!」

ーーーーー

課題は達成されたが、先生は「(課題への)取り組みの中でどういうことが大切だと思った?」と

子どもたちに聞いた。

子どもたちは答えた。「私たちは小石や砂利で隙間を埋め、最後に水でいっぱい満たしました。

大切なことは、手を抜かないで最後までやることです」と。

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先生は言った。「それも大切だけど、もっと大切なことは、初めに大きな岩を入れなければならない

ということだ。

初めに大きな岩を入れず、小さい岩ばかりを入れていたら、そのうち壺には大きな岩を入れる余地は

なくなる

 

       
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大きな岩」とは何だろう?

「壺」を人生にたとえれば、大きな岩」は人によっていろいろだ。

自分の人生にとって「大きな岩」とは何だろう?

 

まず、大切なこと大きな岩に時間を使う

しかし、有名な『星の王子様』でもいわれるように

いちばんたいせつなことは、目に見えない

(「大切なこと」は目先の欲望などが邪魔をしてなかなか見えない。

心の声にじっと耳を澄まさなければ聴こえない)

 

それに、「大切なこと」は変わらないわけではない。

人によって、同じ当人であっても、時と場合によって違うことだってあるだろう。

そう思うと、いま(今)」の自分の人生にとって「大きな岩」とは何だろう?と

常に問い続けなければならないのだろう。

大切なこと」が分かっても、「まず」それを成し遂げなければならない。

そのまず」もとても大切」。

「後で」「後から」と言っておれば、「親孝行 したいときには親はなし」)

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老いて初めて感じるようになったこと、わかった(と思う)ことは多い。

その一つに、自分の「容量(「キャパシティ」)の自覚がある。

 

若いときは「無限の可能性」を信じ(信じなくても「若いという事実」そのものが

「無限の可能性」をあらわしていた)容量(「キャパシティ」)という限界は遠く、

あまり感じなかった。

しかしいまは違う。

(「誰しも1日24時間」、「《何かをやろうとしても》老いてもう遅い」という極めて単純な事実、

人生の限界を強く感じるようになった。

人間としても個人としても、「人生」《壺》という絶対的な枠の中で私たちは生きている事実。

頭ではずっと昔、若いころから分かっていたことを、しみじみ実感するようになった

 

でも、いまはいまなのだ。生きている現実は「いま」に他ならない。

障害者になったころから「引き算」で生きている気がしている。

私の人生はこれでいいのダ!(と言える生き方を死ぬまでしたいもの)

 

 

 

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                             ちりとてちん

今日の俳句

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