カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.10.18 心配してもしかない? 未来のこと(10)

 

                                                  カメキチの目

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第4章 「すばらしい新世界」にはいきたくない?

 

 行き過ぎた医療とバイオテクノロジーの進歩・発展はどんな未来を用意するのだろか。

 オルダス・ハクスリー(イギリス)の『すばらしい新世界』は、第二次世界大戦以前(1932年発表)に書かれたという古いもの。

 が、いま、ほぼ500年先の未来社会を描いたこの作品が注目を浴びているらしい。

第4章では、初めに節をあげることをしませんが、著者の叙述の流れに従って書いていこうと思います。

 

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■”想像力”を手がかりに

 なかなか身近に実感できないことは、”想像力”によって、自分のこととして、引き寄せてみるとよい。

 それにはすぐれた芸術作品が、しばしば助けになる。と、著者は言う。

 

すばらしい新世界

 物語の舞台は2540年の世界。500年くらい先の未来社会。世界国家。

そこでは、子どもが工場で「製造」されている。

というのは、この世界国家の社会では男女の生殖行為で母親の体内から子どもが生まれるのではなく、(バイオテクノロジーが高度に発達しているので)人工的に体外受精が行われ、子宮に代わるビン(試験管のようなもの?)の中で培養されて誕生します。

受精させられる生殖細胞は、その遺伝的素因を含めて厳格に管理されていて、上からα(アルファ)~ε(イプシロン)の5階級にはじめから産み分けられ、低い階級の人びと(デルタとかイプシロン)は、将来も同じ単純な作業・仕事を効率よく従事できるよう、クローン技術によってまったく同じ遺伝子をもった子どもが大量につくり出されもします。

女性の体内から生まれるということはないので、その世界国家では「父・母」「家族」というものは存在せず、セックス(男・女は在る)は生殖から切り離されているのでただ快楽と友好のためにだけなされます。特定の異性を好きになる、たとえば「恋愛」などご法度です。

そして子どもは生まれたときから、「パブロフ式条件反射」(じつは、この作品が書かれた1930年ころは科学技術の大躍進時代で、作品には、心理学の「パブロフ」「フロイト」、大量生産の象徴として「フォード」などの名前を冠する制度などがたくさん表れます。すばらしいと喝さいを浴びる「科学技術」が未来に投げかけるであろう不安、恐れを作者は想像し、現在からすればずいぶん前の時代ですが、単純に「進歩」や「発展」を喜んでいいのだろうかと、当時を生きる人びとに問かけたのでしょう。ちなみにチャップリンの『モダンタイムス』という有名な映画もこのごろつくられました)という名の「教育」を施され、無駄なく(横道にそれることのないように)、生涯にわたって徹底的に管理されるのです。

客観的には「まったく、個人の自由がない」のですが、そういう事実さえ気づかないほど、管理された社会なのです。

 その世界国家は、ある戦争の後うまれたのだが、ひどくなる戦争で世界が消滅したら元も子もないので、「安定」という理念がいちばん重要なものとされた。

 その際、人間の「自由」がいちばんの敵となる。「自由」はいちばんの不安定の元だから。

 ゆえに、この世界国家では徹底的に自由を抑制する政策が行われる。

 自由を抑制するといってもムチによるのではない。ムチはいらない。

 そもそも、そこに住む人びとには「自由」とか「強制」という観念自体が生まれる根拠はない。先に書いたように、彼らは生まれたときから死ぬときまで、疑うことが爪の垢ほども感じることがないように、管理されいることもわからぬよう完全なる管理のもとにおかれているのだ。

 だから、個人の自由がなくても、人びとに不安や不満はなく、そして快楽はぞんぶんに得られる生活を送っているのだ。

「安定」が国是となっている社会においては、「不安を感じる自由」は許されない。不安は不安定につながる。

 しかし、何かのスキに心に不満や怒りや悲しみなどが忍び込み、精神が乱され、不安定になってしまう、ということがある。

 すると、人びとは”ソーマ”という薬をのむことになっている。それは万能(細胞じゃなかった)薬。

”ソーマ”を一滴のめば、悩むことも暗い気分に落ち込むこともなく、手軽に心地よい気分に浸ることができるので、人びとは過去も未来も考えることなく、人生を思索するということもありません。誰かを好きになってその感情に悩むということもないのです(深い愛情の絆は、社会の安定を壊すもの)。

”ソーマ”は究極のエンハンスメントと言えるのかも知れませんね。

 

”ソーマ”が薬として体内という内側からの「快楽」とすれば、外側からの筆頭は”触感映画”である。

”触感映画”というのは、この世界の主要な娯楽で、いつでも誰でもが楽しめる。映画といってもわれわれが知っているただの「映画」ではありませんすべての「芸術」を含みこんだような、触感まで動員した全感覚で味わえ、楽しめる究極の娯楽なのである。

最近のニュースで見聞きする「バーチャル」のようなものかも知れないですね。なんせことしは「バーチャル元年」になるらしいです。

テレビで、あるエンタメントビルのうす暗い空間で若者たちがごっついサングラスみたいなのとでっかいヘッドホンをつけ、ゲーム機を操作してキャーキャ声をあげていました。すごい臨場感があったんでしょう。

年寄りの私もこれには魅了されると思いました。ぜひ、体験し、あの世への土産にしたいとも思った。

 これはゲームや映画、テレビ、また無限のコンテンツが氾濫するインターネットなどが身の回りにあふれていて、ほどよく調節された興奮ここがミソ、勘どころだろうかによって受動的にときを過ごせる現代社会を思わせるところがある。

 放っておけば管理に手抜きがあったら、ちょっとしたコトから人間は本来の人間的な感情を取り戻し、人生や世界を思索するやも知れない。

でも、”ソーマ”という薬がありました。

 

 ここでは、「歴史」もまた排除されている。過去に何があったか、自分たちはなぜこのように生きているのか、と考えることは不安定要因になるから。 

 時間があり、経験があり、その積み重ねが「歴史」となる。その「歴史」、経験を通して人間は成長する。

この後も『すばらしい新世界』をめぐる著者の考察は続くのですが、その紹介は長くなりそうなので省略します。ただ最後の方だけ紹介させていただきます。

 

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すばらしい新世界』の大きな特徴は、そこの世界国家でいちばん重要視されているのは、みてきたように「安定」ということだった。

 同じように、科学技術の進歩・発展を危惧しても、現代とここで描かれている世界は、この点で決定的に違う。

 私たちの現代社会は言わずと知れた資本主義社会である。ここで重要なのは「安定」社会全体では(個人の努力が成り立たなくなるので)それもたいせつだけどではなく、競争による変革(イノベーション)であり、進んでリスクを負うことによる、より大きな新たな富である。

 意欲的な科学技術者は何に対して「意欲的」かは今は伏せておきましょう積極的に科学技術を競う。

 すべては「発展がさらなる発展を生み出し続ける」という資本主義の原理に貫かれているのだから。

 

さっき「歴史」が人間性の発露に欠かせないと言ったが、もう一つ、「文化」というものがある。

 本来、科学は文化的な要素と対立するものでなく、真の科学とは、歴史や宗教などと並ぶものである。

 この点、何年か前からの大学再編成は、文系を小さくさせ、理系を大きく重視させようとしている。その危惧がいろいろなところで表明されている。大学などとは直接は無縁の私のような人間も気になります。

 

 最後に著者は力をこめて言う。

 現代世界は多様な文化で成り立っている。それぞれの文化の独自性を尊重しながらも、地球のみんなが納得できる人類として共通になる倫理の基盤を見出していく必要がある。

 文化の違いから、ときにはどうしても一致できないということが起きるかもしれないが、なお歯止めとなる倫理的な考え方を示していかなければならないのではないだろうか。

 

                   ちりとてちん

 

Blue 青い色のアートな写真 

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