『新しい論語』(小倉紀蔵・著)という新書本を読み、記事の題名にあげたことを
強く感じた。
(グーグル画像より)
本は著者が「新しい論語」を著したということではなく、孔子と論語の読み方を
新しい観点からの解釈を述べられたもので、それがとても大胆で刺激的だった。
これまで自分が抱いていた「孔子」「論語」像をぶち壊し、変えるものだった。
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『論語』といえば私には、中学生のときの国語教科書に載っていた言葉、
「巧言令色鮮し仁」である。
(他はすべてサッパリ忘れているのに、この言葉と杜甫の「国破れて山河在り」だけウソみたいに
しっかり覚えており忘れることがなかった。14か15だった私の心によほど感じることがあったのか。
「光陰……」「故きを…」「…三十にして立つ…」など有名な他の言葉はずっとあと知った)
著者はいう。
① 孔子の教え(儒教)は、ちょうどブッダの教えが東方に伝えられる中で
さまざまに説かれ、受けとられ(解釈され)、〇〇仏教△△派といろいろ変化した
のと同じように、後の「孔子主義者」「孔子愛好者」がその人の解釈により、
自分流に、自分の都合のいいように説いてきた。
(儒教の元祖として孔子と並び称せられるすぐ後の孟子も、「朱子学」の朱熹も「陽明学」の王陽明も
みんな孔子の言いたかったことを間違って解釈している、と著者はいう)
② 孔子が根本的にたいせつにしたのは「人と人との間に立ち現れる命」。
(孔子が、老荘思想のような自然・あるがままということを重んじたり、普遍的な天とか神とか気
のような超越者(物)を想定していないのは感じていたが、著者の説く孔子を理解する上での鍵とも
いえる生命観、死ねば亡くなる普通の肉体的な命を「第一の命」、道教的な老荘思想の永遠の命を
「第二の命」とするならば、
それらとは違う、その時・その場かぎりの「人と人との間に立ち現れる命」を「第三の命」と想定する
考えは知らなかった。
「第三の命」とはわかるようでわからない。
が、仏教の「禅」でいうような、その時その場をたいせつにするという心《精神》を、人と人の間、
関係においていっているのではないかと思った)
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上記①について
孔子ほどさまざまに解釈されてきた人物は世界でも珍しいと著者は述べる。
後の儒学者、漢学者たちに都合のいいように使われた、自説の権威づけに
利用されてきたという。
上記②について
私は『論語』は「礼」、「忠」とか「孝」など、封建的な道徳倫理を説いたもの
だと勝手にイメージし、儒教というのはガチガチに肩がこる固い感じ、徳川時代の
侍の家の親子・主君関係、明治なっても続く家父長制などを支える古くさい考え、
形式ばった礼儀作法だと想っていた。
(日本仏教は中国経由なので、道教とともに儒教の影響を強く受けている。
「法事」「お供え」など、古くから現代まで続いている習俗に現れている)
しかし著者によれば、『論語』で孔子が真に伝えようとしたことは、形式的な
道徳や倫理ではけっしてなく、人生において、人々が生きてゆく中で、
人と人とが集まって何かをするときに(広く社会、狭くは政治において)起こる
「人と人との間に立ち現れる命」ものだという。
それを孔子は、「礼」とか「忠」とか「孝」などと述べたという。
「礼」とか「忠」とか「孝」などは、ガチガチした肩のこる固い感じのもの
ではなく、人々を真に心から結びつけるための「作法」「決まり」「掟」…
のようなものらしい。
人間どうし、人と人との間を律するもの。
(そういう意味で、何か普遍的・超越的なものが天から降ってきて具現化したという演繹的なもの、
また「あるがまま」の自然に真理が現れているというようなものではなく、具体的な人間社会の
在りようを下からていねいに人の手による作為で積み上げてゆく、帰納的なものだという。
本には何度も、「人と人との間に立ち現れる命」という言葉が出てきた。「第三の命」ともいう。
理解力が足りない私にはイマイチだったが、感覚的なイメージとしてはわかる気がした)
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【引用】
「(礼)
礼とは、氏族集団や郷党集団が共同性を保持しつつ日々の営みをきちんきちんとやっていくための
慣習・掟・文化である。
これは超越的な価値によって演繹的に(下達的に)つくられたものではない、というのが孔子の考え…
その共同体の長い歴史の中で、固有の環境や条件などの制約を受けながら、帰納的にこつこつと
つくりあげていく(上達)ものである。
そして共同体的な人間は、礼にもとづいて言動するときにもっとも生命力を輝かすと孔子は信じた…
(孔子とそれ以後の思想)
そして孔子の学団の後裔でありながら、道家の影響を受けた孟子が、儒家の世界観を一変させた。
孟子は儒家だが、孔子のような帰納的方法論を捨て、道家に学んだ演繹的方法論を果敢に展開する…
(「生命とは気である」と考える道家の思想を受け継いでいる→汎霊論)
やがて、古くさい〈アニミズム〉的な(孔子の)生命観は忘却され、『論語』における孔子の言葉も
いつしか意味不明なものになってしまった。…
〈アニミズム〉的生命観を社会の中に残したのは、…むしろ日本だった。和歌や俳句といった世界観は
あきらかに〈アニミズム〉的である。…
(儒教の仏教への影響)
仏教を信仰する家でなぜ仏壇をつくり、位牌を立て、亡くなった人の好物をその前に置くのか。
これは仏教の教理によっては説明できないことである。
(孔子が発見したこと)
人びとや動物やものとの〈あいだ〉に心が交感し美が共有されるとき、
〈いのち〉の立ち現れを知覚することができるのだ、ということに気づいたにちがいない。
そして古から伝わってきた礼という形式は、けっして単なる画一化のための形式なのではなく、
一定の条件のもとでどうするときにもっとも〈いのち〉が輝き、共同体が美と生命を共有できるのか、
という智恵が蓄積された体系なのだということに気づいたのである。
つまり、礼は人びとの自由を束縛するものではなく、
人びとの共同体的な〈いのち〉を自由に開放するための装置であることに気づいた。
「三十にして立つ」というのは、そのことを熟知して共同体の中で立派に一人前の仕事ができるよう
になった、ということをいっている」
(注:(黒字)はこちらでつけ加えました)