カメキチの目
二つ目
は、本に登場するお二人、親鸞とチェ・ゲバラ。日本の最大教団、浄土真宗の宗祖と、革命家ゲバラは、直接には何の関係もない。
二人とも本にそれぞれ登場しているだけで、ただ私が記事にしたくなっただけのこと。
有名な『嘆異抄』のなかで、親鸞は弟子の唯円に「おまえさんは私の言うことに決して背かないか」とたずね、唯円がハイ!と答えると、「では千人、殺してこい」「そうすりゃあ極楽往生まちがいなし」と言った。
もちろん、唯円は「ムリむり…一人でも殺せません」と答えた。
このやりとりの後の親鸞の言うことに森さんはハッとした。衝撃を受けた。
ここを読んだ私ももちろんです。
「一人も殺せないのはなぜか」「唯円、おまえが善人だから殺さないのではない。そこに【業縁】がないからだ。おまえが意志で殺すまいと思っても【業縁】があれば百人千人殺すこともある」
これは有名な「悪人正機(あくにんしょうき)」説といわれているものです。
著者は、「人は状況によって(「状況」が「業縁」になる)人を何千何万人も殺す」と書き(前のナチスのアイヒマンやオウムの麻原彰晃のように)「優しいままで、穏やかなままで、凡庸なままで(人を殺す)」と続ける。なにも、アイヒマンや麻原だけが悪魔、鬼畜生、極悪非道なのではない。
誰のなかにもアイヒマン、麻原が棲んでいる。
そのことを、自覚しなければならないと森さんは説く。
私の若いころ、かつての青年の一部は彼に憧れた(私もそうだった)。ゲバラはチェといっても男性だ。現代の青年がAKB48に熱を上げる以上だった。
そのくせ、私は詳しくは知らず、こんど森さんがパロディといえども、確かな下調べをしたうえで書いておられるので初めて知ったことが多い。
私がついつい付箋を張りたくなったところを本から直接引用します。
パロディなので、チェ・ゲバラはいまの日本にいます。
「 …(議員は)頭の中は次の選挙のことでいっぱいだ。政治家として何ができるかではなく、政治家であり続けることにしか関心はないようだ。そして選挙では毎回のように、一時のブームで政治に関心も資質もない人たちが当選する」
「誤解してほしくないが、ひとりひとりの日本人はとても優秀だ。…問題は集団になったときだ。…熱狂しやすい。一極集中する。それはもちろん、人類全般に共通する現象だ。でもこの国はその傾向が強い。多くの人が多数派に付きたがる」
ゲバラにとっては、祖国はアルゼンチン(生まれた国)でもあり、キューバ(ともに戦い、キューバの政治はカストロに託し)でもあり、ボリビア(ここの革命中に銃弾で倒れる)、ペルー、メキシコでもあった。明日は中国かもしれないし北朝鮮かもしれない。
人々が圧政に苦しみ、自分を必要とすれば、革命家として戦い、世界中すべての国が祖国となる。
チェ・ゲバラは著者のパロディ話では、日本の議員になり、圧倒的な国民の支持を受けており、なろうとすれば首相の座にだってつけるのに、この国の政治の質の低さにあきれ、勉強しない政治家に幻滅し、議員さえやめた。