(きょうは「不要不急」の最後)
南直哉さんという禅僧の「何が『エッセンシャル(本質的)』なのか?」です。
【引用】①「〈「不要不急」経済の果て〉
現今急激に進展するIT・AI技術は、まさに身体性の消去を目指す技術とも言える。
バーチャルリアリティ、人工知能、ロボット、サイボーグ技術、
それらはまさに身体性の代替と拡大がテーマである」
②「我々がかろうじて持ちうる「死」のイメージは、身体の消滅以外に無く、
もっとも我々に切実な「自然」は自分の身体だ。…
ウィルスは、このような身体の致命的意味を、我々に強烈なインパクトで想起させたのだ。
「エッセンシャルワーク」という、いささか偽善的な匂いがしないでもないタームが
今更ながら持ち出されてきたのは、単にそれが日常生活に不可欠だという単純な感覚ゆえではない。
身体の意味がリアルに想起されたから、その仕事がエッセンシャルだとわかったのである」
③「〈自己・所有・貨幣(資本)〉
一方に「不要不急」に拡大した資本と市場があり、他方に「必要至急」なものが何かを示す身体がある
このとき、「自己」とは、「身体における存在」である。…
我々の「存在」は「不要不急」である。
しかし、我々の「身体」は、それを維持して「自己」であるために何が「必要至急」なのか…
つまり、「自己」は常に、「不要不急」と「必要至急」に引き裂かれた存在なのだ。…
「自己」と呼ばれる存在の仕方には、根拠が欠けている。
…
資本主義の根本原理である「私的所有」とは、正に対象物を(廃棄を含めて)思いどおりにできること
…それは、所有行為によって「自己」の存在を根拠づけることである。
ならば、諸行無常を標榜して、「自己」それ自体の存在を錯覚に過ぎないと考える仏教が、
返す刀で私的所有に極めて否定的な態度を示すのは、実に当たり前である。」
(注:「」・〈〉・①~③、下線、太字太字赤字はこちらでしました)
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南直哉さんという禅僧は(前にも記事を書いたことあるけれど)哲学者みたいに
ちょっと難しいことをいわれているようだけど、熟読すると私でもわかった。
わかると深く納得する。
①から③にわけて書きます。
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① 著者は曹洞宗の僧侶で、原点は「身体」だ。
禅語のほとんどは、心の無(心をなにかにとらわれてないこと)、身体が発する声を感じることの
たいせつさを説いている。
「IT・AI技術」は「『不要不急』経済(なくてもいい急がなくてもいい経済)の果て」に
登場し、「身体性の消去を目指す技術」になっている。
いまでは身にはなせない「IT・AI技術」スマホ。
それはなくてはならぬものだろうか。
それは、ますます自分の身体を意識しなくてすむようになっている。
たとえばなにか物事を調べようとすれば、ネットが普及するまでは、図書館や本屋さんまで出むき、
または人を訪ねて聞いたりして(そのため足や手をつかい)必要な情報を入手していた。
たとえば買い物の支はらいで、お金を手で握ることさえしなくてよい。
あらゆる情報入手、手続きは、スマホ画面をながめて頭はつかうが、身体といえば(広い意味では
「頭」も「身体」のうちだけど)指だけつかえばすむ。
「バーチャルリアリティ、人工知能、ロボット、サイボーグ技術」の世界がますます進めば、
コロナのような感染症にかかって「ああ、私たち人間も動物で身体があったのだ…」と感慨にひたる
ことが起きるかもしれない。
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② 「エッセンシャルワーク」という言葉をコロナ禍ではじめて知った。
①の「身体性」と強く関連するけれど、「生きる」ことは「生活する」ことを
この言葉からあらためて気づかされた。
この「気づき」(東北大震災のときも人間が生きるうえで、ほんとうにたいせつなものは何か?
ということがあれこれといわれた)をだいじにしなければならない。
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③ 仏教は宗教だから、こころという内面のはたらき、信仰や救いによって
人生を豊かにしてくれる。
しかし、人生は社会とは切りはなせないので、社会にも関心をよせる。
「諸行無常を標榜して、「自己」それ自体の存在を錯覚に過ぎないと考える仏教が
返す刀で私的所有に極めて否定的な態度を示すのは、実に当たり前…」
を読んで、私は深くうなずいた。
著者はお坊さんだから革命家ではないけれど、「社会革命(変革)」に
既成の政治勢力よりずっとラディカルだ。
〈オマケ〉
人類がうまれてからずっと長いあいだ「平等」だったのに、「私的所有」により差別がうまれ、
「持つ者」「持たざる者」にわかれた。
ほとんどが資本主義体勢のいまの社会(中国は「社会主義」と自分ではいうが、経済は「私的所有」が
とりいれられ資本主義的で、政治上の「独裁主義」というのが当たっている)は、いずれ遠いさき
(まだ人類がつづいていればの話)「私的所有」をなくし、ふたたび「平等」にならなければ
人類の維持・存続じたいが成りたたないのではだろうかと思う。
ちなみに、「世界の格差」とネット検索したら、いちばんに
10.人や国の不平等をなくそう | SDGsクラブ
というサイトの
多くの国でかつてないほど格差が広がっています。
2017年には、世界のもっとも豊かな1%の人が
世界全体の富の約33%を持っていました。
が出てきました。
こういう人類の姿を神仏(私は仏教者だから、いると信じる)がいつまでもお許しになるはずはない。