カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.7.19 「国葬」に絶対反対

(きょうは『ポストコロナ期…』の「後」を書く予定でしたが、国葬」というニュースを知って

啞然としたので、そっちにします)

 

一国民の私は絶対に反対です。

 

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安倍元総理が銃弾に倒れるという事件のとき、

『刑事弁護人』 薬丸岳・著 という小説を読んでいた。

        


ある事件を追う主人公の弁護活動が、
ともかくていねいに描きこまれ、読んでいて

何度もなんどもドキドキ、ハラハラさせられたが、納得させられる結果となって

安堵した

小説は架空の物語だが、ありそうな話で深くうなずいた。

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「ありそう」というのは、実際にはありそうもないことでも、あって(起きて)

しまうと、後で「あり得た」(起こり得た)と思われるということだ。

 

先日の現実の事件も、小説での事件も殺人だった。

同じ殺人でも小説は虚構。気楽にやり過ごせるが、現実はそうはすまない。

 

殺人は絶対してはいけないのだ。

(しかし例外があるようで、国家がやる「戦争」、「死刑」はいいらしい

ドラマで刑事が言うように、(正確には「個人」は)

「どんな理由があろうとも、人を殺めてはなりません」

(自らの権力のためにお兄さんを暗殺した金正恩ウクライナの人々をもう4か月以上殺戮し続ける

プーチン個人の死を願い続けるけれど、自分に殺せる力はない。

「願う」という心のことと、「行う」という身体のことは分けて考えなければならないと、私は思う)

 

小説は刑事事件を犯して起訴された被告人を弁護する弁護士の話だ。

被告人が事件を起こすにいたった理由と、そこまでの経緯、事情を多くの関係者の

証言をずいしょにおりこみながら、読む者を没頭させた。

 

現実の事件は、安倍氏が元総理大臣だったということで、

とても国民の関心が高い。

この小説のように、「重箱の隅を楊枝でほじくる」ほどていねいに事の次第が

解明され、容疑者がなぜこのような重大な事件を起こすことにいたったのかを

その原因、背景を根本的に明らかにしてほしい。

そして、公正な裁判が行われてほしい。

被害者が元総理ということで強大な圧力がかかり、真実がねじ曲げられることが絶対、

あってはならぬ。

こういう政治的な殺人事件の場合、検察が何をいい、弁護活動がどのようになされていくのか

わからないけれど、真実が白日の下にされされ、公正な裁判が行われますように

 

ところで、いつも気になっていたことがある。

悲惨で残酷、衝撃的な殺人事件といって、すぐに思いだすのがいくつかあるけれど、犯人が火をつけ

たくさんの人が死んだ「大阪精神クリニック放火事件」、きのうがちょうど節目の3年目になった

京アニ放火事件」。

私は関西地方在住。上の2件とも関西。こんどのは奈良、ずっと前、世を震撼させた酒鬼薔薇神戸、

付属池田小は大阪、カレーは和歌山だった

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そのあと読んだのが、『家族という意志』 芹沢俊介・著という。

           


人間(だけでなく動物も)にとっていちばん身近でたいせつな「
家族」をとても深く

考察されたもの。

 

「家を破産させられた」が動機となり、この事件を起こした山上容疑者。

この事件では、「統一教会」という私も昔からずいぶん聞いてきた霊感商法とかの

詐欺まがいの悪徳商法と合同結婚で有名な宗教団体(世間ですごく問題とされていたのに

不思議なことにいつの間にか騒がれなくなっており、歌手の桜田淳子がどうのこうのという話を最後に

聞いて私も忘れていた)と安倍元総理の深い関係を知って犯行に及んだとのこと。

(宗教団体《に限らず》とズブズブの関係にあるのは、いわゆる「大物」政治家には普通らしい。

統一教会」とそういう関係にあるのは何も安倍元総理だけではなくゴロゴロいるのに…)

だけど、このように特定の目的でねらいを定めたものに限らず、社会にいい知れぬ

恨みを抱いて(たとえそれが的外れであろうとも)実行される不特定多数を対象にした

理由なき殺人は、現代の日本ではやまない。

絶望的になって殺す(人生を終らせる)ということは、他人に向けられれば「殺人」

になるが、自分に向けられると「自殺」になる。

 

芹沢さんは、日本政治が小泉政権にあった20世紀末から年間常時30000人という

異常事態に突入したことを「自殺の時代のはじまり」として、こう述べる。

【引用】

自殺の時代のはじまり

アノミー社会

自己責任の強調は、自己本位主義社会の特徴である。

デュルケームアノミー状況にとらえられた個人の内面を、

慣れ親しんできた地位から急に没落した者」(「地位」というのは勤務先での「職階」のような

狭い意味ではありません。山上容疑者の「地位」)を例に、次のように述べている。

慣れ親しんできた地位から急に没落した者は、自分の意のままになると信じていたその地位が

遠のいていくのを感じ、おもわず怒りにとらわれるが、当然その怒りは、真実にせよ思い違いにせよ

彼が自分の没落の原因だとおもっているものにたいして向けられる

かりにその災難の責任が自分自身にあるとみとめれば、彼はみずからを恨むであろう。

さもなければ、他人に恨みをいだくことになろう。前者の場合には、自殺しか起こりえまい。

しかし、後者の場合には、自殺にさきだって、殺人かまたはなにか別の暴力の表示が行なわれる

可能性がある

彼はこうした境遇へと自分を追いこんだ当のものに怒りをおぼえるであろう。

その怒りの情念がコントロール不能なくらいに激しくふくらんだ状態、

これが個人のおちいったアノミーという現実である。

この状態は危険である。

破壊的な行為(物にあたる、人にあたる)につながる」

 

(注:「」〈〉()、黒字、太字太字はこっちでしました。終わりにある引用も同じ)

 

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政治に無関心に徹すれば別だけど少し関心をもてば政党によって政治の方針・

政策はいろいろあることを知る。

 

選挙権を得て誰に投票するかを決めるにあたり、候補者の所属政党の政治方針・

政策を問うか、候補者自身の人がら・人間性みるか?という話を投票初心者の

そのころはよく聞いた。

人がら・人間性などあいまいなこといってもよくわからないし、政治家を目ざす

人物だから、みんな徳は人なみ以上にあり、決して絶対、自分の欲得のために

ウソをつき国民をダマすなんてことする、できるはずはない、と信じきっていた。

(人がらがいい、人間的だということは政治家の資質で前提の条件みたいなもの)

だから、問題になるのはその政党が何をめざしているのか?政治方針・政策。

当然のことだ。

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安倍晋三元首相は、数々のウソをついた。今ではそれは天下周知の事実。

 

政治家は潔癖でなくてもいい。

ウソか真(誠)をいちいち気にするような小さい器の人間ででは何もできない。

「清濁併せ呑む」安倍さんのような大人物でなくては…という国民が彼を推し、

最高権力者に祀り上げ、あの不幸な事件を招くことになった(ともいえる)

事件は「無差別」ではなかった。

(演説を聞いていた人々の誰一人にも弾が当たらなくてよかった、と不謹慎ながらも私は思った)

 

今までもいっぱい書いてきたので、これ以上、元総理のことは書くまい。

代わりに、最後にもう一度、芹沢俊介さんの『家族という意志』からの引用何を

します。

(長いけれど、書かれていることは極めてシンプルです。ぜひお読みください)

 

【引用】

デュルケームによれば、アノミー自己本位主義の芽生えなくしては起こりえない

なぜなら人が強固に社会化されていたなら、無規制や無秩序といったアノミー状態は起こりえない…

アノミー化した社会とは、社会状態を失った社会、「社会なき社会」のことであった。

社会なき社会(資本主義社会が現代の段階にまで進むと)

それまで社会によって規制がかけられていた個々の内なる自己本位主義的志向が、

公然かつ大規模に解放される…。

個々の内側で内なる自己本位主義的志向が起動すると、

共通の価値、共通の信念にもとづく統合という共同体のフレームと衝突するのは必至である。

資本主義はためらうことなく、この共同体のフレームをとりはらった。…

社会の主体は、欲望や情念の命じるままに行動する個人ということになる。

のような意味での社会のアノミー化が進んでいる状態にあるとき、

人と人との関係は、緊張をはらんだものとなる。…

露骨な勝ち残りゲームや生き残りゲームが横行するようになり、…それだけではない。

一見、おだやかにみえる日々の暮らしの場面においても、自己本位主義的であることの不可避の経過

として、身近な他者への無関心がそれと気づかれずに個々の内面にひろがっていくのだ。…

おびただしい数の自殺者、おびただしい数の所在不明者、おびただしい数の無縁死、

おびただしい数のホームレス、おびただしい数の派遣社員・フリーター、

おびただしい数のひきこもる若者たち、おびただしい数の自傷行為する若者たち、

おびただしい数の登校拒否児童・生徒たち、おびただしい数の虐待される乳幼児たち、

終わりのないいじめ、頻発する親殺し・子殺し、無差別殺傷事件…

 

こんどの事件に民主主義への挑戦、民主主義を守れ!という声があるけれど、

ちょっと違うのじゃなかろうか。

これは容疑者の勝手な思いこみであったとしても、個人的な恨みからの犯罪だろう

 

かって初めて総理大臣になったとき、安倍氏は「美しい日本」を目ざすといった。

ウソをついたとの自覚はなくても、国会でそのウソを追及され、言いわけに徹する

ことが「美しい日本」人のすることだったのだろうか。

 

 

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                               ちりとてちん

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