kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2018.6.26 見るべきほどのことは見つ

 

                                                  カメキチの目

f:id:kame710:20171029114701j:plain

 

 

「見るべきほどのことは見つ」

と、思いながら一生を終われたらいいです。 

 

大きく出ましたが(笑)、「見るべきほどこと」というのは価値観のようなもの。

人によりそれぞれですから、人の数だけあることになります( その価値観の多様さを、本やブログは強く感じさせてくれます)

とくにブログは、「今」という時間までいきいき感じさせてくれる。

私にはあまり興味・関心がないオシャレ、ダイエット、美容、…などですが、そういう情報を書かれる若い女性の読者にも、ほとんど理解できないコンピュータ関係記事…などの若い男性の読者にもなっています(きちんと読まなくてなくてゴメンなさい)。しかし、一生けんめい書いておられる姿を記事の向こうに想像し、「元気」をいただいています。

 

 自分の狭い世界の外を見聞きするのは楽しいけれど、この記事は、私にとっての「見るべきほどのこと」。

「見るべきほどのことを見つ」は、『平家物語』で海中に身を投じた平知盛が言ったとされる言葉。

                           f:id:kame710:20180509160222g:plain

 

 

また森達也さんの本を読み(対談集『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』)、この言葉を思い出しました。

本は副題が「科学にいのちの根源を問う」とあり、生命・遺伝子・地球・宇宙・物理・進化…と最先端科学で明らかになった知見がいっぱい出てきます(たとえば量子力学とか分子生物学とか暗黒物質がどうのこうのと)。

そういう分野で活躍されている自然科学者たちとの、自分は文系といわれる著者との、一般読者を対象とした読み物。

ですから、私の能力が足りなくて理解が追いつかないところはたくさんありましたが、とてもおもしろかったです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本の内容はおもしろいところがいっぱいありました。けれども私にとっての、

「見るべきほどのことは見つ」は、池谷裕二さんという脳科学者との対話の部分だった。

二つだけ書きます。

 

①このブログでもよく触れる「人工知能」のことについて。 

【引用】

「人工脳をつくろうと努力するくらいだったら、実際に子どもをつくったほうが手っ取り早いですよね。セックスするだけで実際の脳ができるんですよ。だからヒトに似せたアンドロイドを設計するモティベーションは、実のところ、科学的にはほとんどないのです。同じ労力をかけるのだったら、ヒトにはできない何かを代行してくれる、ヒトとは異なる機能をもったロボットをつくったほうが、ヒト社会においてははるかに有益です…」

「コンピュータは半導体や電線でできているわけですが、ヒトはタンパク質や脂肪でできている。この違いは大きいです。仮にヒトの脳と同じ回路をもった電子回路ができたとしても、スイッチを入れると同時に熱を発して、瞬く間に自熱で溶けてしまいます。つまりコンピュータは脳に比べると、はるかに熱効率が悪いんです。ですから新しい素材が開発されない限り、人工知能の開発は無理です…」

「人間の脳はニューロンだけでも1000億個以上あるんですよね」

「はい。その神経細胞一個当たりに1万のシナプスがあります。掛け算すれば、総シナプス数は銀河系の星がいくつあっても足りないレベルになりますね」

人工知能(ロボットを含めて)をいくら極めていっても、人間の脳はできない。

もし、遠いとおい未来に可能となったとしたら、「天然(自然)」「人工」の境は消えているのでしょうか。

 

②視力・メガネと遺伝のこと。

 近視という状態は生きるうえで望ましくないので、劣性遺伝として、生物学的には長いあいだにはその遺伝子は排除されるはずなのに、メガネの登場(つまり科学技術の進歩)のおかげで近視の弱点は解決された。

 ということで、近視はメガネによって「克服」され、その遺伝子は劣性であっても人類は引き継いでゆく。

そういえば、いまなお原始的な生活を尊び、続けるアマゾンなどの部族をえがいたテレビ番組で、メガネをかけた長老をみたことがあります。時代劇でも、紐で吊るしたメガネをかけた医者などが出てきます。

劣性遺伝であろうとも人類は、技術の進歩で解決していくのです。スゴイ!

【引用】

「例えば私(池谷さん)は目が悪いから、狩猟採集時代であれば間違いなく生きられません。ところが今は近視が不利ではありません。問題なく生活できる。「眼鏡をつくる」ことの意味は、遺伝子ではなく環境を変えるということです。ニッチ構築の典型例です。医療技術が進むと、不都合な遺伝子は排除されずにすみます。ですから遺伝子の多様性が一気に増えました。現在に至っては、誰もが最低でも数十個の遺伝病を持っていると言われています。全員が「病気持ち」です。…」

「「健康」とは何だろう?」

 

人工知能 ②メガネ。

「脳」と「目」。それぞれおもしろい話で、わかりやすかった。

「脳」と「目」をとおして、これからの人間の姿を想った。

 

 人工知能・AI・ロボットは、人間にはできない(できても人間をはるかに上まわる能力をもっているので)ことを人間のために使う。そうしてこそ存在意義があるというもの。

でも、同じ技術でもバイオ(医療を含め)技術。その進歩・発展は「アンチエイジング」「人間改造」「デザイナーベビー」などを可能にします。こういう人間内部への働きかけ、つまり生物学的に操作する(遺伝子、細胞など)ものはどう考えるべきなんでしょうか(前に書いた「出生前診断」も)。

こちらも、病気やケガ、障害の治癒・克服に役だってこそ、存在意義があると思うのですが。

 

 メガネはずいぶん古くに登場してから今日まで、その基本は変わらない(傘みたい)。極めてシンプル、素朴。なのに、すばらしい機能・働きを人間に与えてくれた

これも「歴史的発明」の一つだと思う。

 メガネという道具、技術が近視という劣性遺伝による弱点は「克服」してくれたから、その劣性遺伝子は生物学的には排除しないですむ(つまり、続く。淘汰されることはない)

 

しかし、気になります。

人類の生活環境も、自身の身体も、限りなき技術の発展が続いていくならば、想像を超えた、それこそ「想定外」の未来が待ちうけているかもしれない。だって、技術開発は「ここらへんでヨシとしよう。もう止めとこう」ということがないのだから。

そう考えると、人類が生き続けるためにも、世界的な規模での技術開発に対する縛り、「倫理的規制」が 必要だと思うのですが。

 

 

                  ちりとてちん