カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.6.15 「老化」はなぜ起きるのか、「死」はなぜあるのか

 

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② 「老化」はなぜ起きるのか、「死」はなぜあるのか

 

著者は医学者である。

専門の生命科学の眼から、人生現象としての「老化」を、生物現象としての「死」

仕組みを述べ、人間らしい老いと死はどうあるべきか、どうあったほうがいいか

を深く考え、提唱される。

死を想っていまを一生懸命いきる、という意味の人生訓、名言はたくさんありますが、私がこの本で

とても新鮮に感じたのは、「老い」と「死」を生命の科学から解き明かし、科学的にも人間は人間として

きちんと生きなければならないと、強い情熱をこめて書かれておられることでした 

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【引用】

「死」はなぜあるのか

二つの細胞死

ネクローシス 火傷や打撲など痛み、浮腫、かゆみなどの炎症反応が起こる)→壊死

アポトーシス 細胞にプログラムされた「死」

(①②ともには身体の大半の部位をつくる再生系細胞についてのことですが、

心筋細胞《心臓》や脳神経細胞《脳》のような非再生系細胞の死を著者は自分の造語で

アポビオーシス《寿死》」という)

性と死

有性生殖の過程で、本質的に「死」、つまり細胞死を必要とするのはどこなのでしょうか)

新たな遺伝子の組み合わせをもって生まれてきた受精卵の良し悪しを選別するときであると

考えられます。つまり生命の誕生に「死」が必要だったのです。…

有性生殖では、常に新しい組み合わせの遺伝子を持った個体をつくり直しています。

次世代の個体を確実に残し、種を保存してゆくためには、「性」によって獲得したヴァラエティに

富んだゲノムの良し悪しを、きちんと選別する手段が必須の条件となります。

その最良の方法が「死」によって不良品を消去することであったと考えられます。…

有性生殖の機構と死の機構が車の両輪のように組み合わさってリセットされながら回転することが

なかったら、生物の存続はおろか多様性も生まれてこなかったでしょう。

死のある意味

アポトーシスは「再生系細胞に備わった細胞除去の機能」…一方、アポビオーシスは「非再生系細胞に

付与された個体消去の機能」といえるでしょう。

寿命の尽きた非再生系細胞が自ら消滅することによって、個体は自然の循環のなかへ戻ることができる

ようになっていると考えられます。

細胞および個体レベルで「死」が遺伝子として、生来決まっているのです。

生命体はこの「死の遺伝子」に支配された巧妙な細胞死によって成り立っていると同時に、

個体の死も確実に保証されているのです。…

私たちのように有性生殖によって繁殖するシステムで重要なポイントは、遺伝子は常にシャッフル

される仕組みになっていることです。…

同じ遺伝子組成を持った個体は、二度と生まれてこないのです。…

古い遺伝子を個体ごとに消去することであったと考えられます。…

アポトーシスとアポビオーシスという細胞死を、遺伝子として

体細胞に二重に組み込んだのでしょう 

 

(注:「」〈〉①②、太字太字はこちらでしました)

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いのちあるすべてのもの、生命体はかならず死ぬ。

 

しかし、なんで死があるのか?どのように死んでいくのか?

説明しろ!と言われてもできなかった。

 

けれども、この本を読んで、生きものには必ず元々から「死」が細胞を通して

プログラムされている、はじめから死ぬ存在として生まれ死ぬまでは生きている

ということがわかった。

だから(いちばんたいせつというか)根本的な問題は、(人間の場合は)人間らしい生を

過ごさねば…と思う。

(しかし、「人間らしい」とはいっても、無限の欲望を抱え無限の技術で「成長」を続けるのも

「人間らしい」し…この問題はむずかしい)

 

また、なんで雌と雄、女性と男性という二つの性があるのか?というと、

二つの性が交わり(両方の遺伝子がシャッフル、つまりかき混ぜ合わされ)新たな生命が

誕生する際に、生命の誕生に「死」(細胞死)が必要

(「次世代の個体を確実に残し、種を保存してゆくためには、「性」によって獲得したヴァラエティに

富んだゲノムの良し悪しを、きちんと選別する手段が必須の条件

「死」によって不良品を消去すること」が必要だったわけだ。

 

それで生命体はこれまでいのちをつないでこられたし、そのために多様な個体を

生みだし、その中でいちばん生きやすいものが生きのびてきたというわけだ。

 

(ところで、先の「人間らしい」という根本問題の話について、上述のことから思った。

人類の生物学的な身体の造り、構造の進化という面だけではなく、生き方の面での「人間らしい」

多様なあり方も、何が人間的かは未来の長い時間を経るなかで選択されていくのではないだろうか。

そして、その中でいちばん生きやすいものが生きのびて」いく気がする

 

同じ遺伝子組成を持った個体は、二度と生まれてこない

(前回書いたように)「唯一無二の存在として生きている自分」なのだから、

人間」とか「人類」という言葉で一括りするのではなくて、

私」「自分」を思おう。

母○○と父▢▢の子どもとして生まれた私△△。

 

 

 

 

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                          ちりとてちん

 

 

 

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