カメキチの目
ずいぶん前に録っておいた『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録』という番組をみた。
番組名が深刻なイメージを与える。
敏感に察したツレはさっさとテレビの前から移動した(「悲惨」だけなら何とかたえても、「残酷」が加わるといけない。あとで夢にみるという)。
画面に小さい字で「このあと死体場面が続きます」と注意書きが表示されることがしばしばあり、いちばん酷かったという南方戦線の現場白黒映像が流された(逃げて「正解」でした)。
終わって、しばらくボーっとなった。心がカラッポだった。
(10月から始まった朝ドラで憲兵による拷問場面があり、若いころ「思想・信条を曲げさせる拷問にたえられるか?」と自問し、虐殺された『蟹工船』の小林多喜二が夢にあらわれてきたことを思いだしました)
いつまでも番組、戦争のことが思いだされてならなかった。
二三、感想を述べます。
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① あんな野蛮、残酷な戦争をすることはもうありえないだろう。
過ちを繰り返すことがあっても、同じ形ではないだろう。
武器は巨大な進歩を遂げた。
技術の研究開発(発展)は先ず軍事のためになされ、あとから民生にいかされることが多いらしい。
(「インターネット」というすばらしい技術がそういうものであることは私でさえ知っている)
先日、テレビニュースでAI搭載兵器の「国際見本市」をやっていた。具体的には自動殺人をやってのけるAI兵器の売りこみ市場。そこを訪れた多数のビジネスマン(武器商人)や軍人(スーツネクタイ姿なので外見だけではわからない)、世界中の政府「要人」などへのインタービューがあった。「要人」いわく、
「戦争は人類の必要悪。悪いことであるが、避けられない」と。
AIの兵器への導入は必然という。問題はどこまで「認めるか?規制するのか?」「ルール作りが求められている」という。戦争はどうやらゲームらしい(ゲームのルールが適用可能なのか?)。
これも、人類の「闘争」本能(DNAに連綿と伝え続けられた)の発現だろうか。
ボタンの操作(ということは指先の動きだけで)だけで原子爆弾も簡単に発射できる。一人で何百万人も殺せるのだ。
たとえ白兵戦のような残虐な殺人方法でも、目の前の血だらけで苦痛に顔をゆがめた敵の姿に悩まされないためには(つまりトラウマが起きないためには。そのことで自責の念に苦しまなくてすむように)、さっきのAI兵器の使用とともに、兵士の精神が狂わなくてすむように脳を生化学的に操ればいい。ようするに感じないようにすればいいわけだ(トラウマに関係する脳の部位に手を加えるか、鈍くする薬を与えればいいわけだ)。
「歴史は繰りかえす」
次世代はAIを使いスマートな戦争をすればいいわけだ。
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② 戦争で心・精神を病んだ兵士が入院していたのは千葉県市川市にあった国府台病院という。
番組の最終場面。
終戦で、ちょっとでも故郷に近いところでと名古屋の病院に転院し、そこで生涯を終えた元兵士をよく見舞いに行ったその兵士の姉(姑さん)が、
「(弟は)なんのためにというよりか、なにをしに生まれてきたんじゃろか…」とつぶやいていたと、もう90前後になられるお嫁さんが語っておられた。
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③ 戦争末期には大量の兵士が必要とされ、「補充兵」ということで、多くの「兵役免除者」に赤紙が届き、兵隊にとられた。
なかに知的障害者(当時は「精神薄弱者」といった。私が若いときもそう呼んでいた)もいた。
戦後、国家・軍の役にたたなかったということで、「恩給」需給対象者から外された。