カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.2.23 イカの哲学③

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これで終わりです。

 

波多野さんはイカを処理するアルバイトで、ピチピチはねる姿を見つめるなかで

イカの「実存」を感じた。

イカでなく他の生物でも同じだっただろう)

中沢さんは、その「実存」をバタイユの生命論を引き「エロティシズム」と言い

また「生命の輝き」と呼んだ。

そんな深いところから生きものたちの生命現象をとらえる。

 

そして、最後に平和と戦争について述べる。

(ここで「超平和」という表現がされますが、「平和」を、すべての生きものの「実存」、「生の輝き」

という根源からとらえられた考えを私は知らなかった。

これこそ波多野さん、中沢さんの「結論」です。感激せずにはいられませんでした)

 

【引用】

3 実存は戦争を抑止する

人の心とイカの心

実存しているものたちをただのモノとして扱う物象化の思考が一般的に

なってきたのは、人類史で言えば、ごく最近のことにすぎない。… 

イカになって思考する

イカの哲学』の著者(波多野さん)が、究極的に求めた表現とは…

イカが感じ考えたことを、イカの体の内側に入り込んで思考し、表現すること 

狩猟の倫理

動植物の乱獲を防いできた、…「森の倫理」は、神が命じたのでもなく、契約に

よって発生したものでもない。…

(同じ生きものとして人間は、生きものに共通して存在する「生存の知恵」から、自分自身が生存を

続けていくためにも、「獲り過ぎ」「乱獲」をしてはならないと本能的にわかっていたのだろう

近代戦争が発達する以前、戦場には戦場の倫理があった。

その倫理を生み出していたのは、敵の中に実存を発見する…

(現代の戦争で、コンピュータ画面に敵の兵士をゲーム感覚で見つめるとき、その兵士に

実存を発見する」ことができるだろうか?彼の人生、彼の家族、恋人を想像できるだろうか?)

 

4 超戦争に対峙する超平和

変質する戦争

戦争は自分の内部に、歯止めを失った超戦争に踏み込んでしまう危険性を、

いつも抱えている。…

戦争にはつねに、実存への何がしかの配慮が残されている。

敵は自分と同じ人間なのであるから、たとえ戦闘中においても、

あまりに残虐な行為は許されるものではないし、まして非戦闘員たる市民は… 

実存を失った動物たち

お金には、さまざま存在同士の間に実現されていた…存在相互のつながりを

断ち切った上で、モノになった存在には貨幣価値が与えられる。

こうして、食料になる動物たちは、陸のものも、海のものも、地中のものも、

資源とみなされるや、実存を失い、モノとなった。…

(波多野さんはイカたちが一度に大量に捕獲される網を使っての漁法をみて言う)

資本主義と一体になった近代漁法の発達は、海の狩猟を限界を超えた「超狩猟」

変えてしまった。…

原爆開発にたずさわった科学者と技術者も、…エノラゲイを操縦していた

パイロットたちも、ほとんど誰一人として、…被曝者となるであろう人たちの

実存を考えていなかった。

 

そして、中沢さんは日本に与えられた課題〉ということを書かれる。

課題とは、「日本国憲法第九条」を守ること。

日本国憲法第九条」の意義はよく政治や法学的な観点から説かれるけれど、

「いのち」「実存」を根拠にしたものを私は初めて聞いた。

【引用】

日本は核兵器を使用され、完全な形の超戦争を体験した唯一の国として、

もはや普通の国ではいられなくなった。

戦争を抑止するだけではなく、超戦争に対峙することのできる「超平和」の思想を

生み出さなければならないという、人類的な課題を担うべき国となった。…

(「憲法第九条」は超平和の思想。中沢さんは、波多野さんは核兵器使用の意味を生物の実存のレベル

考え抜いていたと言う

 おわりに  

憲法第九条が人類遺産的に重要なのは、平和学を土台とする国家の原理の可能性を

いままでにないようなやり方で、生命の原理と結んでみせたことにあるのではない

だろうか。

 

(注:黒字の()〈〉→、太字下線はこっちでしました)

 

 第2章 戦争の放棄第9条

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

国際紛争を解決する 手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

国の交戦権は、これを認めない。 

 

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「実存」とは辞書には「実際に存在すること」と簡明に、

しかし身も蓋もないようなことが記されているが、

ここでは、私は「生存している重み」というか、

何かの生きものが生きて存在している事実(「奇跡的」ともいえる)への畏敬の念、

感覚の響きを感じる。 

 

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「山で獣を借りする人たちも海や川で漁をする人たちも、獣や魚たちは神が授けて

くださる恵みであり、昔から人々はいまの自分たちが食っていける分だけ、

必要な分だけをとり、あとは他の人々、未来の人々のために残した」

 

平和的な、のどかな、言ってみればただこれだけの事実だ。

しかし、ここに「平和」の心、精神をみるということまでは私は深く考えたことが

なかった。

・動植物すべてに神(魂)が宿るアニミズム→「実存」 

・神大自然の恩恵を感じる→「感謝」

・山や海の幸、恵みはみんな(現在だけでなく未来に渡って)のものだから、

必要な分だけいただく→「少欲知足」

 

 

 

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                         ちりとてちん

 

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