カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2016.2.27 介護民俗学)

 

                                                  カメキチの目

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 前に“刺激”のことを書いた。

「ニュース」、そして「ブログ」と書いた。

 正確には、テレビと読書、それに旅も加わる。それらの刺激がブログのネタにもなっている。

 

 働いていたときは、図書館を利用することはなかった。 

 いまは、「座右の書」(それは買います)にしたいもの以外、借りて読む。

「毎日正月」だからよく読めるし、いちいち買っていたらとっくに破産していたに違いない。

 夫婦してよく借りるので、「図書利用市民税なるものを作って払わねば悪いね」と会話に出るくらいだ。

 

『驚きの介護民俗学』(医学書院・発行)というのを読んだ。著者の六車由美さんはまだ40代の若さの民俗学者で大学の先生だったけれど、辞めて介護職員になった。

 その、じつにすばらしい考え方と実践にふれ、私は完全に驚いた。

 

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 いずれ、誰もが歳をとる(「子ども叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」)。

 いま老人ホームに入居し、ディケアなどを利用しているお年寄りは大正や昭和の初めに生まれた人たちで、認知症の方も多い。六車さんが相手しているのはこんな方たちだ。

 彼女は自分が専門とし、つちかった民俗学の「聞き書き」という手法を使って、お年寄りの過去(昔話)を引き出す。

聞き書き」は聞いて書くことだが、福祉の現場では「傾聴」が重視され、言葉であってもその背後にあるものや、言葉にならない表情とか感情を読みとろうとしたり、語られたことより共感がたいせつとされる。

聞き書き」も共感をだいじにしているが、民俗学は民衆の隠れた生活を明らかにするために話者(庶民)に教えを乞うという立場から、一段こしを低くしなければならない。それはすなわち相手を重んじることである。

大学の先生・教授といったって、高いところからモノを言う態度はすぐわかります。そんな輩にだれが話そうとするでしょうか。どこかの議員さんたちにも聞かせたいものです。

 福祉やカウンセリングの現場において、介護士やカウンセラーは利用者やクライエントに対等に向き合わなければならないが、客観的に対等ということはありえない。施設・在宅をとわず、する(施す)側がされる(施される)側に優位に立っている。

 だから、目に見える、明らかに「あなたを尊敬しています」という姿勢・態度が必要とされる。

 

 自分が尊敬され、その「聞き書き」という民俗学的手法によって引き出された過去(昔話)は、当人のたいせつな宝であり、いわゆる“アイデンティティ”みたいなものである。

 私は、つねづね、人間の生にとっていちばんだいじなものは「その人だけの一回性」「一度きりの人生」だと思っているが、どんなにありふれた、掃いて捨てるような人生であろうとも(そう自分が思いこんでいるだけ)ドラマチックでなくともよい。だれも広岡アサのような人生と対等だ。

 

 詳細は本そのものを読まれ、生の感動にふれられることをおすすめします。

 

                   ちりとてちん

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