カメキチの目
『面白くて眠れなくなる植物学』という本を読んだ。
眠れなくはならなかったが、「面白い」というのはほんとうだった。
ほとんど難しい話はなく、おおかたは誰もが知っているような植物の話。
しかし、「面白い」「楽しい」だけでは終わらなかった。
あらためて、植物が人生にどれほどたいせつさかを痛感した。
こう言えばちょっと大げさですが、「人類必読の書」とまで思いました。
植物の存在は、私たち人間が「生きる」うえでどれほどだいじなことか(たとえばコンピュータ・人口知能やロボットがなくとも、私たちは生きてゆける)。
本の「あとがき」に著者の稲垣栄洋さんは、こんなことを書かれていた。
-「植物学」を学んでも生きていくうえで何の役にも立たない、つまり「実学」のような利用価値がないと思う人がいるかもしれない。
きれいなチョウチョを見ても「美しい」と感じず、「気色わるい」と感じ、かわいい子犬を見ても怖がる人もいる。けれど、花を嫌いだと言う人はほとんどいないだろう。
人は花を見ると(この前からブログでも花が「満開」でした)美しいと感じる。
植物は自分のために(つまり植物自身の将来にわたっての繁栄のために)、昆虫を呼び寄せ花粉を運んでもらうためにきれいな花を咲かせます。
けっして、人のためではありません。
でも人は花を愛します。花に癒される。
そればかりか、植物から私たちは「生きる力」を感じ、「生き方」を学ぶことさえできる-
この「あとがき」の最後のさいごの言葉、「できる」。
「できる」か「できない」かは読み手の姿勢の問題だと思いました。
「できる」ようになるには「努力」がいる(なにごとも努力は必要ですが、私のように努力嫌いの人間がいるのは事実)。
しかし、植物を愛し、花を愛でるのは特別な努力をしなくても誰でもできる。
「植物学」を専門的に学ぶというところまではいかなくとも、植物の姿から生きるエネルギーを感じ、生き方のヒントを学ぶことはできると思いました。