カメキチの目
※ご注意
「100歳」はめでたく正月をひかえてピッタリですが、記事は暗くなりそう(すみません)。
録画していた『人生100年時代を生きる』(NHKスペシャル)をみました。
前・後2回の大型番組で、NHK(担当制作者、スタッフのみなさん)の強いメッセージが感じられ、私は初回のはじめの場面が強く心に残りました。
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車イスに乗った100歳をこえた(こえてしまった)男性お年寄りひとり、弱々しい声をふりしぼるようにつぶやかれる。
「100歳になってもワシは生きている、生きていることが悪いことのように思われる。何も悪いことしていないのに…」(そのままの言葉ではありません)
朝日新聞の「折々のことば」という連載をされている鷲田清一さんの『老いの空白』という本。次の一節が痛感されました。
【引用】
「何かを生みだすのではなく、「ただいる」ということだけでひとの存在には意味がある…
「ただいる」ということだけでひとの存在には意味があるということがあたりまえのこととなったときに、はじめてひとは「成熟した社会」のイメージ、あるいは〈老い〉の文化というものに、リアルにふれることになるのだろう」
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「人生100年時代」。長寿はたいへんめでたい、喜ばしいこと。
(だから行政は記念品を贈ったりして祝っていた。が、これからは贈るどころか、そのうち「敬老の日」は廃止されるかもしれない)
長寿はめでたいのに、すなおに(自然に)喜べないなんて、こんな世の中、社会は狂っている。
いのちの長さはいろいろ。生きものはみんな個体差があります。
(長生きする人もいれば、幼くして、若いうちに死ぬ人だっている。生まれついたときから頑健な人もいれば虚弱な人もいる。頑健が長生きするとは限らない。虚弱が短命とは限らない)
いのちは個人のこと。
長いも短いも自然です。
ほとんどの人は自然では長く生きていたいと(命あるものは当然)願うでしょうが、家族をわずらわせたくない、世の中・社会に迷惑をかけたくない、だからあまり長生きしたくないと、自然な心に反したことも願います。
(そう思わせる元凶は政治の貧しい現実なのに)
「痴呆にはなりたくない、トンコロリといきたいもんだ…」
なんと悲しい…なんと情けない社会。
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誰もが世話になる福祉が市場化され、儲けの対象となり、数値化され、カネに換算された。
社会福祉への民間事業者の参入である。
(よりよい福祉を受けよう、つまりより楽しく幸せに暮らそうと願えばカネ次第。カネの多い者ほど潤沢な介護が可能《ヘルパーさんたちの心まではわからないですが》)
私は社会福祉の現場にいたからその過程、流れをみた。私の勤務先は介護や保育のような利用施設ではなく、(行政の「判定」を経て半ば強制的に入所させられる)措置施設だったから入所者の徴収金額(利用料金)は大きく押さえられていた。
それまでの社会福祉事業は、国や自治体の厳格な基準をパスした事業者が、「儲け」「利益」を度外視して行うもので、民間市場からの参入は禁じられていた。
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番組では、良心的な施設長さんが、経営・運営している会社(その介護施設はチェーン店の一つ)の社長さんみたいな上の人に呼びだされ「きみのところでは経営が成り立たっていないね。支出ばかり多くて収入が少ない」(そのままの言葉ではない)と言われる。
その施設長さんはご自身の身体が悪くなるくらい、入所者のお年寄り本人やご家族に「生きていてよかった」と喜ばれるよう、この施設に入ってよかったと思われるようにがんばっている。
(彼は40代。はからずも私はいっしょうけんめい働いて過労死した居酒屋チェーン店の「名だけの店長さん」を連想しました)
施設長個人・職員個人、個々の施設の努力で、「人生100年時代を生きる」世の中をつくるわけにはいかないことくらいは、どこをどうすればいいかは、
(国のたいせつな政策を立てる有名大学卒のエリート官僚には)とうの昔からわかっていただろうに。
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番組は、さまざまなたいせつな視点から日本の「介護制度」の現状、問題点を指摘していた。問題は多岐にわたるけれど、
すべてがおカネに帰着する。(福祉といえども「商品化」され、入所のお年寄りは「モノ」。「黒字」か「赤字」、それがすべての基準)
ある施設経営者(決して「良心的でない」「悪どい」経営をしているわけではないです。なのに、カメラは人物が特定されないよう配慮されていました)は、要介護度が3~5のように重い方なら国からの補助金が多く、1や2のように軽いと少ないので、経営上の必要から介護度の重い人を入所させたがる現状をすなおに話した。介護度の重い方は、ベッドから自力では起き上がれなかったり、自力歩行も不可能なので、そんな入所者のほうが徘徊もせず、職員の負担が少ないという。
つまり、身体機能が衰え寝たきりになった重い方にたくさん入所してほしいわけだ。
そっちが、「黒字」になる。
なんでも「黒字化」をめざす。それが、「市場の論理」「絶対使命」なのだ。
社長さんは悪くない。
たとえ人間が相手でも「商品」だから。
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「軍事費削って福祉、医療、教育に!」
若いとき、そういうスローガンを掲げた署名を100万人分集め、国に届ける運動(いまりゅうに言えばムーブメント)をしつこくやっていた。
かつての民主党の「事業しわけ」はやり方が拙かったので不評だったのだろうけれど、官僚任せ(自治体では担当部署まかせ)に厳しい目を国民(市民)の側から向ければムダ、浪費な支出がどれほど出てくるだろう。ゴロゴロ出るに違いない。
日本国にカネがない、不足しているわけでは決してない。
膨らみにふらみ、そのうちバブルのように破裂し、日本のカネの価値は紙屑どうぜんにならんとも限らない。
(「だが、考えてもみよ!ほんとうに必要なものに借金し、膨大な国債を発行しているのか?」と、私は吠えさけびたいです)
〈オマケ〉
ゴーン前日産トップの報酬虚偽疑惑、逮捕が世間をにぎわせていたが、いくらトップ、社長とはいえ個人にあんな多額の報酬が支払われているとはあらためて驚いた(もちろん、世界を見わたせば驚くに値しないのでしょう)。
彼は超高額の報酬を、「世界の他のCEOのもらっている報酬とだいたい同じくらいだと思っている」と言っているらしいが、「他のCEOがどうであろうと自分は」と思わなかったのだろうか。
あれだけおカネがあればなぁーとは誰もが想ったに違いない(私は想った)。
ゴーンさんはどうするつもりだったのだろう?