カメキチの目
たしかに、心配してもしかたないかもしれないが、そうでないかもしれない。
コトは孫子の時代では訪れそうにはない遠い未来社会のことなのだ。
「わたしゃ カ・ン・ケ・イ あーりません!」
まあ、自分という人間の亡きあとのことだから、そりゃそうなのだが…。
しかし、さびしい…
たとえ、どんなことがあったにせよ(これから何ごとが待ち構え、起きるかわからないけれど)いま生きていてもいまの各自の人生を歩んでいても、誰しも一人で生まれ、一人で育ったんじゃない。
母ちゃんがいて父ちゃんがいた。
なかには人生のスタートから重いハンディを背負い、死ぬまで世話をしてもらわなければ生きることが不可能な人だっている。はじめっから一人でなんて生きられない。
「関係ない」ことはない。
と、わかったふうなこと言ってゴメンなさい。「関係ない!」と言われたぶんにゃ「オシマイ」です。続く言葉もなにも出ません。
人間だけじゃなく、この世のすべてが縁あって存在し、つながっている。
「関係」はモノゴトのあり様の本質だから、私の亡きあとも想い、考えねばならない。
「(私の)亡きあとに洪水よ来たれ!」という言葉がある。
「あとは野となれ山となれ!」という言葉もある。
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山中教授のiPS細胞という万能細胞研究がノーベル賞をとったことは私もとても嬉しかった。
「日本人が…」ということじゃなく、山中教授の病気やケガで苦しんでいる人、とくに治療法がまだ見つかっていない難病の人を救いたいと強い思いを抱いておられることを知ったからである。
ノーベル賞候補と騒がれる前に、「ヤマナカ」という名前を「iPS細胞」という名とともにはじめて聞いた。
研究がもっと進めば生物の基礎をなす細胞のしくみがわかるらしいということは生命のしくみと成り立ちまで解き明かされようとしている。
頭部外傷による障害も治るかな。治るようになった未来に生まれて障害者になりたかった。
この本は、目をみはるほど急速に発展を遂げているバイオテクノロジーをめぐるさまざまな問題点を、とくに「いのち」を中心において取り上げている。
そのなかで、島薗さんは、iPS細胞とES細胞(つまり万能細胞)の可能性について、まず「万能細胞」というものが何であるかを、続いてちょっと先行のES、次にiPSをわかりやすく一般的な科学知識で説明され、そのあとそれぞれについて深く言及される。もちろん、「いのち」を尊ぶ観点から。
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で、ガ~ン!!!
私はじつに迂闊、不覚であった。
万能細胞の可能性を、みんなバラ色に描いていた。
「バラ色」といえば。子どものころは高度経済成長だったからか、未来はたいていバラ色に決まっていました。それが灰色になり、ますます黒の基調が濃くなったのはいつでしょう?
著者は、バラ色だらけではないという。
『いのちをつくってもいいですか』?と問わなければならないところまで、私たちは、人間は来ていることを投げかる。
この問いに真剣に向かい合わなければならないと、強く思った。自分のことではノーテンキであろうが…。
天気の風景写真