カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.11.16 「退屈」と「しあわせ」

書名にひかれ、短編集

  『ポケットアンソロジー 生の深みを覗く』 中村邦生編

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                                 (グーグル画像より)

という文庫本を読んだ。

 

私は、デリケートな感覚や細かな神経をつかわないといけない(理解できない)

物語は苦手だ。

(本にはいくつかの短編小説が出てきたが、読みおえたのは3割くらいであとはダメだった。

「生の深み」を感じるより眠気を感じてばかりだった)

 

その中で、『ガーシュウィンのプレリュード第2番』バクスター著)というのは

とてもわかりやすく、つぎの言葉がとても心にのこった。

【引用】

「退屈には優しさと慈悲があります」マダムはおだやかに言った。

「だから約束して下さい。今からはもう始終祝杯をあげたりしないと。

年がら年じゅうしあわせを求めたりしないと」

 

この短編の主人公は30くらいのしがない独身女性。

人はよいけれど、さびしがりやで、何人もの若い男にだまされてきたのに

またまた信じた(人がよいからかさびしがりやか、すぐ信じる)彼にも裏ぎられる。

 

彼女は生活のために働きながらも、マダムにピアノを習っている。

マダムというのは、かつてはピアノ演奏で活躍したがいろいろ深い人生経験をへ、

いまは階下に食堂、階上にスタジオをかまえ、ピアノを教えている。

 

男に裏ぎられ、去られてまたひとりぽっちになった主人公。

友だちへ愚痴をいい慰められるけれど、さびしさはうめられない。

 

ある日、さびしさを酒をのんでまぎらわそうとし、酔う。

酔ったままピアノのレッスンに臨んだとき、マダムに言われたのだった。

退屈」ということ、しあわせを求める」ということ。

 

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退屈」について。

若いときはやっぱり私も人なみに活動的だったと思う。だから退屈することも

あっただろうし、タバコはよく吸った。ただ、なにに退屈したのかは具体的に

思いだせない。

いまは老いたし、身体は不自由になったこともあり、「退屈」という無聊な状態で

あってものんびりしていいなぁと感じる。

「のんびりゆっくり」にすっかり身がなじみ、いまじゃ「退屈」という言葉さえも

思いうかべたことがない。

 

でも、マダムの言葉「退屈には優しさと慈悲があります」に深くうなずいた。

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しあわせを求める」について。

(この前、中国のことで「幸福」「しあわせ」と書いたばかり

「幸福」「しあわせ」というのは主観的、この自分が感じる、思うものだから

人によってまちまちだ。

Aには「しあわせ」と感じられても、Bには「ふしあわせ」と感じられることもある

「健康」「家内安全」などだれにも共通するものもあるけれど、そうであっても「しあわせ」は自分で

感じるものだから、主体的で、やっぱり個性的だ。

それに主体は同じ自分でも、時と場合により変わる)

 

これも、マダムの言葉「年がら年じゅうしあわせを求めたりしない」に深く

うなづいた。

しあわせは、感じるもので求めるものではないのだ。

 

 

 

 

 

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                           ちりとてちん

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