『仕事と日本人』 武田晴人 という本を読んだ。
新書版なのだが、中身がたいへん濃かった。
(グーグル画像より)
「あとがき」に書かれていた著者の姿勢が、本全体を貫いていた。
【引用】
「競争という手段、企業の営利性、金銭的な報酬で計られる労働の価値などは、
現代社会において普遍的な真理であるかのように語られている。
しかし、それは競争という手段への過信に過ぎず、営利性の追求が企業の社会的な機能をゆがめ、
金銭的な報酬の多寡への注目は、それとは異なる労働の意味を問いかけることを妨げている病根
のように見える」
(注:青赤とも太字はこちらでしました)
心に強く響いたことだけ3回に分けて書きます。
(次回以降も引用の文章は青字で書きます。長い引用文はいつも通り、【引用】とします)
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① 生きるために、それほど働かなくてはならないのか?
【引用】
「人びとは生きるために必要な限度以上に働いているようにも見えます。…
社会的名声の階段を上がるためには不可欠だからと、追い立てられるように…」
私は「社会的名声の階段を上がるため」とは思わないが、
「必要な限度以上に働いている…」には大きくうなずいた。
(「ブラック労働」といわれるほどでなくとも、実際は「働かされている」《イヤなら辞めていいよ》
あるいは「食うためには働かざるをえない」が多いと思われます。私は食うお金があれば就職しない)
「社会的名声」なんかどうでもいい。それよりか、少しでも多くのお金を得たい
稼ぎたい。それで「必要な限度以上に働いているように」見えてしまう。
自分本人のためもあるが、家族の生活向上のため、しあわせのため。
(残業は強制されることもあるけれど、お金になればすすんでする場合さえある。ところで、
コロナ禍のいまは、国民の命を守り救うため、保健・医療・介護などの最前線で頑張っている、
《というか》頑張らざるをえない人々がおられる。その人たちにとっては、
上で述べたような一般的な、消費と結びついた「それほど働かなくてはならないのか?」というような
仕事、労働のことではなく、たぶんに「使命感」に満ちたものになっている。
《病院で、保健所で、身体がボロボロになるくらい働き、なかには病んで休職、辞職される方が
絶えないというニュースが毎日、報道されている》)
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いまの日本は、国民みんなが生きるための富(とみ)はだいたい出そろっている
と思われる。あとは、(多くの人が「不必要」と感じる欲さえ起こさなければ)
「配分」と「持続可能」に工夫し、誰もがそれほど働かなくてもいい世の中、
社会をつくれる思う。
現在のコロナ禍は、その前と後がいわれるほどの時代の画期だと、あちこちで
いわれている。
社会全体が、「生きるためには、それほど働かなくていい」と気づけばいい。
(しかし、世界各地に目を向ければ、「生きるためには、それほど働かなくていい」どころでない。
パレスチナやミャンマーなどの惨状を見ると、兵士、警察官の仕事とは、上から命令されれば民衆を
砲弾や銃で殺すこともあるのだと思わざるを得ない)