♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
大みそかの夕方。安くなった食品はないかとぶらり、妻と近くのスーパーに行った。
売り場はことし最後の買い物客でごったかえしていた。「ポイントデー」とか「なんとか市」のお買いどく日をしのぐ客の入りで、活気にあふれていた。
(子ども相手の仕事をしていたとき、12月の保育カリキュラムには「歳の終わりの街のにぎわいを感じる」とあったことを思い出し、若いころがなつかしくなった。「歳末・正月」という“一過性”《すべてのものごとは“一過性”》に過ぎないけれど、こんなささいなものごとが重なって私の中にも日本人のDNAが形成されるんだな)
で、正月用の食べ物を物色していたら、「いらっしゃーい、いらっしゃーい!」。元気な掛け声のおばさん店員に姿を見られた。(もちろん、見られて悪い姿だったわけじゃない。それどころか続けて)ほほ笑まれた。「まっ、おそろいで…」
なにが「おそろい」かといえば、上着のジャンパーと毛糸の帽子である。
以前の私ならぜったい照れただろう(そもそも毛糸の帽子なんてオジン臭くてぜったい被らなかったはず)。今は防寒のためそんなこと言っておれぬ。髪は薄く(隠すためボウズ頭)、背に腹は代えられない。照れ・恥ずかしさは変わらないままだが、(障害のせいで)まわりが(わが姿も)よく見えていないので、(平気とは言わないまでも)あまり気にならなくなった。
(それはいいのだが、マナーとかエチケット。私の場合、最高に気をつかわねばならない。知らないうちにごはんをこぼしていたり、服に幼児みたいな汚れを残して気づかないままいたり…あげればきりがない。信じられないような失敗がある。指摘されはじめて気づく。「オオー!自分としたことが…」。
泣くわけにいかないが、泣きたくなる。わずかに残された自尊心。だが、いつまでもこだわっているわけにもいかない)
「へへヘ…」とやり過ごす。
ことしは障害者8周年。
かなり意識し自覚して生活してきているつもりなのに、いまの障害の程度がその前(過去)と比べてどうなのか?ときかれると、「はあ…?」。
それに、しっかり、障害者となる前の身体感覚が残っているので、つい現状の身体と比較し、ブゥーブゥーやっている。
ほんとうに悟りの道は遠い。
わが家の守り神、いえホトケさま。
いまは7時20分ちょうど。西方角の民家の窓に映った朝日が反射してマイ仏壇を照らしてくれ、なんとも美しい(朝日だから瑠璃光浄土がやってくるのです)!