カメキチの目
このことはとくに書きたい、書いておかねば…と思った。
NHKスペシャル『アジア巨大遺跡』の二番目に放送されたミャンマーの「バガン遺跡」である。
(再放送があれば、ぜひみてください)
いまから1000年くらい前の仏教遺跡。
「アンコールワット」や「ボロブドゥール」と並ぶ世界三大仏教遺跡でありながらながら、ここだけまだ世界遺産ではない(なんでかな?)。
バガン遺跡(寺院と、おどろく数の仏塔群)は、それ自体すごいが、私が感激したのは、仏塔群のなかの小さい仏塔(大きいのは王サマなど支配者が建てたもの)は、ちょっとしたおカネ持ちの庶民が建立したということだ。
そのプチブル、ちょいカネ持ちは、建立に費やしたおカネがおカネ以上に尊い功徳に化けて(けっきょく)わが身にハネ返る、功徳がやってくると信じており、(そういう意味ではとくに人徳があるのじゃありませんが)自分より貧しいみんなの幸せも願って仏塔を建てた(ウン? やっぱり人徳がありますかね)。
また、一般庶民がおカネをためることが可能なしくみをつくりあげた当時の王サマは偉いと思った(もちろん、王サマだからできたのですが)。
しくみとはこうだ。
古今東西。王族・貴族ら権力者は、一般庶民を税金(形はさまざま)と労役(しばしば兵役、苦役)で支配し、吸い上げる一方だが(いえ詳細に調べれば、例外的には民に人気のあった王サマもいたでしょう)、ミャンマーのこの地方の王サマは寺院や仏塔建築の労役に対価としておカネを支払ったという。
つまり、自分たちだけ豪勢な生活を送るのでなく、ほどほど贅沢な生活に徹しただろうか。
これだけで驚きだが、一部の民衆はせっせとこのおカネをため、やがて小さいが、仏塔を建立した。みんなの幸福を祈った。
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時は大きく移り、現在。
番組は、たまたま現地の「得度」式に出あい、そのようすなどを取材した。
「得度」とは、ブッダが王子という世俗の身を捨てて、根源的な苦である“生・老・病・死”からの解脱を求めて修行生活に入ったことをさす(出家)。
ある小さな店(日本なら「コンビニ」といったところか)の両親は息子をきょうの「得度」式に出させるために、100万円くらいをコツコツ長年かけて貯金してきた。
100万円は自分たちの息子だけでなく、その少年の、経済的に貧しい友だちたちの得度にもつかわれた。
えらい!
もちろん、動機は先の小さな仏塔を建てたちょいカネ持ちと同じである。仏教には、こういう功徳(お布施)を積めば積むほど、仏さまに近づけるという教えがあるからだ。
“教え”は個人では、たしかに実践できる。実践する人たちもいよう。
しかし、ここでは社会のレベルで実現されているのだ。
結果、この地方・地域には貧富の差(格差)がきわめて少なかった。
そこでは、おカネには換えられないもの、そういう尊いものがだいじにされていた。
(現在は、ひどい格差があるようですが、仏の教えは脈々と生き続けています。
話がとびますが、この前の国政選挙でスーチさん率いる野党が勝利し、よかったです)
キリストに罪を告白する。仏に手を合わせる。アッラーにひざまずく。
さまざまな神さまを信じる人びとの心というものが、木から落ちたことで、私も少しわかった気がした。
106 クモ
へへヘ… オレサマはスパイダー。つまり、雲。いやクモだぞー。怖いぞー。
いえ、クモはタランチュラのような、それにときどき海外からの輸入品にまぎれこんでついてくる毒グモもたまにはいますが、だいたいは「益虫」(でもクモは手足8本あり、6本の昆虫ではありません)。
ジョロウグモの糸を張ったところなんか、美しいです。それに、「人間」について考えさせられます。
私にはむずかしすぎて、孫が折ったのを「すまんのぉー」。もらいました。
あまりによくできており、尻から糸を通し、パソコンの前に飾りました。