カメキチの目
人生も旅。
それは時間の旅。
芭蕉も北陸・みちのくに行ったし、やっぱり旅といえばどこか(できれば)まだ見知らぬ土地に行ってみたい。
♪ 知ーらない街(まーち)へ 行ってみたーい
どーこか 遠くへ行きたい
…
人生の旅に、見知らぬ場所・土地への旅を組み込む。
思い起こせば、私たちの場合、サイの妹がまだ小学生の幼い息子ふたりとダンナさんを残して逝ったときを境に、出不精だった彼女がこつ然と変わり、芭蕉の北陸・みちのくはもとより、より遠くといっても外国までも視野に入れるのはもう遅いですがより広い範囲、エリアに行くことになった。
芭蕉のときは徒歩かよくて馬に乗ったくらいだが、こっちには鉄道、バスがある。かつては乗用車があり、自分で運転しましたがそこは勝った。
が、旅の質・濃さでは負けた。
俳句や短歌。日本独特の極端に短い定型詩。誇るべき文学です。
私は才能不足で秀作はできませんでしたが、(自己満足の域を出なくとも、それでいいと思っています)入院中には大好きな啄木を気取って歌を作ったもんです。退院してからは俳句。
私の旅の原点は、中学生のときの遠足旅行で、住んでいた山奥から海のみえるところへ行ったときだ。
そこに、
何が(草木)生えているか?
何が(人間以外)生きているか?
人びとはどうして暮らしているのか?
人は自分だけの人生を生きる。
それは自分だけの人生という時間を歩み続ける旅人のようなものである。
逆にいえば、「月日」という旅人、時間が私という人間に乗りうつって(怖くはありません)、この人生を歩み続けているということか。
あっ、禅問答のようになってしまった。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉