カメキチの目
著者は問う。
「生き物の『目的』はなんだろう?」
そして長年のナマコ研究のすえ、こういう答えを出した。
「ずっと続くこと」
つまり、ずっと「生きていく」こと。
その生物種が絶えないこと。続いていくこと。
「あたり前」なんですが、しみじみ味わないといけないだいじなことだと思います。
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姿、形あるものはすべて衰え、そして消える。
本川さんは、その根拠に「熱力学第二法則」という、少々むずかしいことを言うけれど(詳しく知りたい方はネット検索などで知ってください)、なんのことはない。
いつまでも存在する、変わらない、永遠なものはないということ。いのちがあるモノは必ず衰え、死ぬという意味でいっておられるだけのこと。
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生物は、ずっと生きるためにどうするか?どうしているか?
この「大問題」に本川さんはサラリと答えていた。
私は感心した。「さすが、生物学者! 『生物学』だけに限らないけれど、やっぱり学者さんはスゴイ(もちろん考えるだけのヒマとアタマがないといけませんが)」
著者によればこういうことである。
生物は、寺社仏閣にたとえれば「法隆寺型」ではなく「伊勢神宮型」なのである。
伊勢神宮は、確かに法隆寺にみられるように当初からの材料(檜)はなにも残っていないが、式年遷宮(は「伊勢」だけではありません。ちなみに奈良の春日大社は「遷宮」とは言わず「造替」と言う)という20年ごとの建築で常に新しくなる。それがずっと続いている。
たしかに20年前の建物は壊され、なくなっているが、「伊勢神宮」としてはずっと続いているのだ。しかも、いつかは現状維持とはいかなくなるだろう法隆寺と違って、これからもずっと続いていけるのだ。
考えれば、生物もそうだといえる。その個体(個人)は死んでも、種として後(子孫)をつくれば(残せば)いつまでも続くのである。
「式年遷宮」は、生き物にたとえれば「生殖」なのだ。
伊勢神宮はそれが可能なように、20年たったら「次はこの木にしよう。あと20年すればこれこれくらい成長するだろう」と計画を立てる。準備OKなのだ。
なるほど! 私は手を打った。深くうなづいた。
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「 子ども」は親のコピーではないが、コピーっぽいところ、つまりちょっと似たところがある。
ここがだいじなのです。つまり「ちょっと似ている」こと。
けっしてコピー機での「コピー」のように何もかも…ということではない。
「オマエ、父ちゃんにそっくりだな」とからかわれたり、「母ちゃんに似ればよかったな…」と思うことがある。
半々似ていることもあるが、7・3で父親似ということもある。嘆いてもはじまらない。
むかし学校で習った「突然変異」。
遺伝子が100%そのまま子に引き継がれることはない。
いくらかは、その子なりの変異を起こす。
だから「トンビがタカを生む」ということもある。
もちろん、タカがトンビを生むことだってあります。でも、「タカ」と「トンビ」を比べてもしかたないです。トンビにはトンビの、タカにはタカの、それぞれのよさがあるから。
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私は二人兄弟である。
思えば(あたり前ですが)弟とは違っているところもあれば、ギクッ!とするほど似ているところがある。
二人は、どっちがより環境に適応しやすい遺伝子を持っているか?弟か私か?
確率からいえば、「ヘタな鉄砲…」のとおりで数が多いほうがいいから、ほんとは、(貧乏でも)子だくさんが望ましい。
ツレは女ばかりだけど姉妹が多くて賑やかだ。とても楽しい。遺伝子云々の話じゃない。しかし、それぞれ子も孫もいるので、遺伝子的にも期待できそうだ。
弟は結婚していない。つまり、子どもがいないので「遺伝子」を残す、引き継ぐわけにもいかない。いろいろな事情で(もちろん、兄としての自分が深くふかく関わって)結婚しなかった、しにくかった。
そう考えると、人間を単純に「遺伝子」とか、生物のレベルでとらえてはならないことを痛感する。
いずれにしろ(よくやりますが)、夫婦がいて、それぞれにふた親がいて、それぞれの父母にはまたふた親(つまりオジイ・オバア)がいて、と、どこまでも続くやつですね。そうすると、いずれ「人類みなきょうだい」ということになります。
それでも昔は東西問わず、某王さま(某殿さま)が権力争いで兄(弟)の首をとったという話がゴマンとあります。そのときの感情はどうだったのでしょう。
でも歴史の進歩は、感情も、善悪も、いまあるふうに変えてきたのでしょうか。
それが「人間の進歩」というものでしょう。
でも、歴史はまっすぐにはこれまでも進まなかったし、トランプのような男が大統領になることもあるのですね。