カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.1.23 寿命…③続くこと

                                                  カメキチの目

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 著者は問う。

「生き物の『目的』はなんだろう?」

 そして長年のナマコ研究のすえ、こういう答えを出した。

「ずっと続くこと」

 つまり、ずっと「生きていく」こと。

 その生物種が絶えないこと。続いていくこと。

「あたり前」なんですが、しみじみ味わないといけないだいじなことだと思います。

 

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 姿、形あるものはすべて衰え、そして消える。

 本川さんは、その根拠に「熱力学第二法則」という、少々むずかしいことを言うけれど(詳しく知りたい方はネット検索などで知ってください)、なんのことはない。

 いつまでも存在する、変わらない、永遠なものはないということ。いのちがあるモノは必ず衰え、死ぬという意味でいっておられるだけのこと。

 

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 生物は、ずっと生きるためにどうするか?どうしているか?

 

 この「大問題」に本川さんはサラリと答えていた。

 私は感心した。「さすが、生物学者! 『生物学』だけに限らないけれど、やっぱり学者さんはスゴイ(もちろん考えるだけのヒマとアタマがないといけませんが)

 著者によればこういうことである。

 

 生物は、寺社仏閣にたとえれば「法隆寺型」ではなく「伊勢神宮型」なのである。

 伊勢神宮は、確かに法隆寺にみられるように当初からの材料(檜)はなにも残っていないが、式年遷宮(は「伊勢」だけではありません。ちなみに奈良の春日大社は「遷宮」とは言わず「造替」と言う)という20年ごとの建築で常に新しくなる。それがずっと続いている。

 たしかに20年前の建物は壊され、なくなっているが、「伊勢神宮」としてはずっと続いているのだ。しかも、いつかは現状維持とはいかなくなるだろう法隆寺と違って、これからもずっと続いていけるのだ。

 考えれば、生物もそうだといえる。その個体(個人)は死んでも、種として後(子孫)をつくれば(残せば)いつまでも続くのである。

式年遷宮」は、生き物にたとえれば「生殖」なのだ。

 

 伊勢神宮はそれが可能なように、20年たったら「次はこの木にしよう。あと20年すればこれこれくらい成長するだろう」と計画を立てる。準備OKなのだ。

 

 なるほど! 私は手を打った。深くうなづいた。

 

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「 子ども」は親のコピーではないが、コピーっぽいところ、つまりちょっと似たところがある。

ここがだいじなのです。つまり「ちょっと似ている」こと。

 

 けっしてコピー機での「コピー」のように何もかも…ということではない。

「オマエ、父ちゃんにそっくりだな」とからかわれたり、「母ちゃんに似ればよかったな…」と思うことがある。

 半々似ていることもあるが、7・3で父親似ということもある。嘆いてもはじまらない。

 

 むかし学校で習った「突然変異」。

 遺伝子が100%そのまま子に引き継がれることはない。

 いくらかは、その子なりの変異を起こす。

 だから「トンビがタカを生む」ということもある。

もちろん、タカがトンビを生むことだってあります。でも、「タカ」と「トンビ」を比べてもしかたないです。トンビにはトンビの、タカにはタカの、それぞれのよさがあるから。

 

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 私は二人兄弟である。

 思えば(あたり前ですが)弟とは違っているところもあれば、ギクッ!とするほど似ているところがある。

 二人は、どっちがより環境に適応しやすい遺伝子を持っているか?弟か私か?

確率からいえば、「ヘタな鉄砲…」のとおりで数が多いほうがいいから、ほんとは、(貧乏でも)子だくさんが望ましい。

ツレは女ばかりだけど姉妹が多くて賑やかだ。とても楽しい。遺伝子云々の話じゃない。しかし、それぞれ子も孫もいるので、遺伝子的にも期待できそうだ。 

 弟は結婚していない。つまり、子どもがいないので「遺伝子」を残す、引き継ぐわけにもいかない。いろいろな事情で(もちろん、兄としての自分が深くふかく関わって)結婚しなかった、しにくかった。

 そう考えると、人間を単純に「遺伝子」とか、生物のレベルでとらえてはならないことを痛感する。

 

いずれにしろ(よくやりますが)、夫婦がいて、それぞれにふた親がいて、それぞれの父母にはまたふた親(つまりオジイ・オバア)がいて、と、どこまでも続くやつですね。そうすると、いずれ「人類みなきょうだい」ということになります。

それでも昔は東西問わず、某王さま(某殿さま)が権力争いで兄(弟)の首をとったという話がゴマンとあります。そのときの感情はどうだったのでしょう。

でも歴史の進歩は、感情も、善悪も、いまあるふうに変えてきたのでしょうか。

それが「人間の進歩」というものでしょう。

でも、歴史はまっすぐにはこれまでも進まなかったし、トランプのような男が大統領になることもあるのですね。

 

 

                    ちりとてちん

 

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