カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.11.3 多様性のために死ぬということ

今日は②、「多様性のために死ぬということ」

 

多様性のために死ぬということ

子供のほうが親よりも多様性に満ちており、生物界においてはより価値がある、

つまり生き残る可能性が高い「優秀な」存在…

親は死んで子供が生き残ったほうが、種を維持する戦略として正しい

せっかく有性生殖で作った遺伝的な多様性を損なわない教育(が大切) 

ヒトの場合、多様性個性」と言い換えてもいい

 

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現代は「生物多様性」の必要性、たいせつさが地球規模で叫ばれているが、

私の子ども時代はまったく、若いころもまだ聞かなかった。

(私が聞かなかっただけかもしれないが、覚えがない)

 

多様性」は、種類の豊富さということだけではなく、その生物種のなかの個体の

遺伝子にもいえる。

自分ではどうにもならない遺伝子だけではなく、二つとして同じもはない環境、

その環境を生き抜く一人ひとりの「自分の人生」もさまざまだ。

(「多様性」に満ち溢れ、決して同じものはない。

 

個体の遺伝子がさまざまな生物種ほど、環境の急変とかの危機に遭遇したとき、

同じあるいは似た遺伝子ばかりの種より生き残る確率が高いことがよくいわれている。

 

アリは集団生活を営んでいるが、集団の主なメンバーは働きアリ」だが、そのなかに一定数の割合で

一見「遊んでいる」「ヒマそうに見える」働かないヤツがいるらしい。

彼らはアリなので人間のように自らの意思でサボっているのはなく、大きな危機が迫ったイザという

ときには、自分が有する遺伝子が仲間たちの役に立つよう、つまり種として生き残れるよう、

生物学的に元々からプログラムされているらしい《つまりそのときのために備えみたいなもの》。

 

アリのように社会的な生を営んでいる生きものであっても、単なる生物ではない人間は、

人生という「多様性」を通じて、より生き残る確率が高くなるのではないだろうか

 

子供のほうが親よりも多様性に満ちており、生物界においてはより価値がある、

つまり生き残る可能性が高い「優秀な」存在であり、

親は死んで子供が生き残ったほうが、種を維持する戦略として正しい

といういい方を、私は初めて知り、深く納得した。

(だからサケは自分が生まれた川を遡上し、産卵したら、「これでサケの役目を果たした」とばかり

死んで自然に還るのだろうか)

 

         


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深く納得したのは「個性」の話も。

 

あちこちでイヤというほどそのたいせつさがいわれながらも、

これほど、それを口にする人にとって都合よく、自分勝手に解釈されることはない

」といわれるもの。

(そのさまざまな解釈のしかた、受け取り方も「」的なのだろう)

 

ここでは、その「を損なわない教育のたいせつさにまで触れられていた。

」を重視、尊ぶ教育というのは、その子の」という名の「多様性」を

たいせつにすることを通じて、人類の存続へ貢献しているのだと思った。

」の尊重。言葉にすればホントに簡単だ。

だが、具体的・現実的な実際のあり様はどういうことなのか?

よくよく考えてみなければならない。

考えたら、「フリースクール」をめぐっての滋賀県東近江市長の発言などあり得ない)

 

 

 

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                             ちりとてちん

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