「複製技術時代」
「複製技術時代
(具体的な個別の文章は)それぞれの生の文脈から生み出され、その中で書くことに尽きている。
一方、作品として流通する文章の評価には、当然のことながらマーケットメカニズムが作用する
(つまり、「売れなくてはダメ」「売れる文章、売れる小説が求められている」)
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現代という時代精神をたとえ不愉快に感じていたとしても、私たちは間違いなく現代人である。
不愉快なるがゆえに、現代を去ることはできない。
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職業として文学を書く人も、インターネット上のブログに日記を書く人も、
それぞれの個別の生の切実さから言葉を吐いていることに変わりはない。
一人称的な生の営みとしては、それで尽きている。…
素晴らしい作品にあこがれることは大切だが、
一回限りの人生において自分の凡庸さにふて腐れることはないのである。
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生態系では、それぞれの生物が固有の文脈を引き受け、懸命に生きている。
人間が言葉を吐き出すという行為も、それに似ている。
どんなに拙い小説も、それを生み出した人にとってはきっと切実な文脈があったのである。…
夏目金之助が夏目漱石になることによって、失われてしまった文脈もきっとあった。
そのことを思う時が、凡庸な表現者にとっての救いになる」
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文学、文章の創作という「事」の一回性、それが象徴しているオリジナル性、
オンリーワンの創造、独創性は、まさに人生という事と同じだ。
書くことは「その中で書くことに尽きている」ように、
生きることは「生きることに尽きている」。
「どんなに拙い小説も、それを生み出した人にとっては
きっと切実な文脈があったのである」
小説は書いたことないけれど、こうしてブログを書いていて
つくづく、そのことを思う。
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「複製」「コピー」ということ。
しかし、それは生命の根本、遺伝子やDNAレベルでもいわれている。
(「種」として存続、長く続くことが生物の絶対的な使命)
人間社会の「大量生産」も、考えてみれば物の(広い意味では)複製、コピーであり
その科学技術文明のおかげで、これほど人類は繁栄した。
そしてまた、人間の目先の欲得のためにだけ利用されたおかげで、
他の多くの生物種を絶滅に追いやり、存続(遺伝子などの複製、コピー)が不可能に
なりそうな状況に追い込んでいる。