カメキチの目
ふた月ほど前、長いあいだ気になっていた山陰の
湯村温泉に行った。
有名になったのに似ており、湯村は「夢千代」で
有名になった。
「夢千代」は、脚本家早坂尭の『夢千代日記』(40年近く前のNHKテレビ
ドラマ)の主人公。芸者さんであり、「はる家」という置屋の女将。
吉永小百合という女優さんが演じた。
いま頃になって、どうして「湯村」「夢千代」なのか?
温泉は好きだが、別に吉永小百合ファンというわけではないし早坂ファンでもない
放送されていた頃は生活が忙しく、みた覚えはない。
このドラマが有名になり、湯村温泉もそうなったので、後にどこかで評判を聞いた
のをうっすら覚えていたのだろう。
湯村温泉を訪ねて、夢千代がどれほど街の人々に愛されているかを強く感じた。
(漫画、アニメなどの人気に乗った「聖地巡り」というのがあるが、そういう
観光的な「地域おこし」の先駆け、成功例になっているのかもしれない)
ここは98度という高熱の湯でのゆで卵が名物。
その自然湧出の湯「荒湯」が、狭い街の中心部、
街並みを縦に貫いて流れる春来川の少し降りたところ
にあり、白い湯気をもうもうと噴き上げている。
多くの観光客(まだ新型コロナは出ておらず、「インバウンド」が
騒がしいご時世なので外国人がいてもよかったのに見かけなかった《外国向けには
積極的に宣伝されていないのだろうか》。
温泉地はたいてい年寄りが多いけれど、ここでは若い人たちをよく見かけた)
が思い思いに「荒湯」のそばの足湯を楽しんだり、
そこらの石段などに腰をかけてくつろいでいた。
また、その様子を情緒ある橋の上から眺めている
人たちがいた。
ある橋のたもとに夢千代像がひっそり佇んでいる。
もちろん、吉永小百合さんそっくり。
写真では「雪吊り」が見えるが、この暖冬で雪はなかった。
(『夢千代日記』での湯村は晩秋から初冬にかけてで初雪が降っていた)
宿でのんびり湯に浸かっているとき、ふと
『夢千代日記』を読んでみようと思った。
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読んだ。
読み終えるなり、「切ない」という言葉が浮かんだ
私の貧しい言葉の中では、それがいちばんの読後感想だった。
「切ない」は、意味あいがちょっと違うけれど、
愛読するよんばばさんの先日の記事からも痛感した。
「切ない…」と感じるのは、いっしょうけんめい
真面目に(「いっしょうけんめい真面目に」というのは何を指すのかという
細かいことは、いまは問わないでください)生きているけれども、
思うようにいかない、不器用な(要領の悪い)生き方しか
できない、運に恵まれていないとしか言いようのない
人たちの人生、生きざまだ。
幸せは、経済的に豊かになることではなく、
貧しくても心が豊かなら感じられる。
不平不満ばかり言って、「運命」を嘆いてばかり
いたら、けっして幸せにはなれない。
『夢千代日記』に登場する人物たちは、一人ひとりが
違った重い運命を背負いながらも、助け合いながら、
ひたすら前を向いて生きる。
健気が、切ない。
いくら「貧しく」ても、「貧しい者」どうしが助け合える人々の絆(いちばんに
ピンとくるのは「地域のつながり」だろうか)があった。
「絆」というと、東北大震災で被害に遭った人たちの、とくに三陸や福島での
助け合う姿、時代劇でよく出てくる長屋の庶民のつき合いを連想するけれど、
『夢千代日記』もまったく同じ。
「車中の人々」も、(『夢千代日記』の昭和より、生活的に圧倒的に
進んだ時代であるが、その「現代」という時代社会が抱える)さまざまな
事情を背負っており、その重荷を「車」という狭い
自由(実際は「不自由」なのに「自由」だと思っている)と孤独に
押し潰されようとしている。
自暴自棄になっているように見える。
やけっぱちが、切ない。
やけっぱちではなくとも、よんばばさんたちが心配され、声をかけられるが、
拒否される。それが切ない。
(「車中の人々」は他人事ではない。捻くれ者の私もその一人になりかねない)
「地域」という絆が生まれる場の崩壊が進んだといっても、人々の助け合いの心は
不変だと信じる(変わったのは社会制度的なものだけ)。
しかし、真面目にいっしょうけんめい生きていても、不器用な、要領の悪い生き方
の人たちには素直に受け入れてもらえないこともある。
それが切ない。
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『夢千代日記』の世界は「これが私の定め(運命)よ」
とふだんは諦念にとらわれていても、人々の絆が
あったので、真面目にいっしょうけんめい生きて
いれば、「それでも…」が信じられた。
物語の中に、ある姉さん芸者が芸者見習の若い娘に語る場面がある。
シンデレラのような、夢物語のような、切ない話。
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薄幸な芸者さんの中には、生まれ育った山陰(「山陰」を含め日本海側は、とくに
冬は重たくのしかかるような雲の天気が多く雪も多いので、晴が多い《太平洋側》
を明るくイメージでした言葉「表日本」と俗に呼ぶのに対して、暗いイメージの
「裏日本」と呼ぶ。作者早坂さんは、あまり意識されることのない「裏」と「表」
の「格差」《いまでこそ「昭和」から遠く離れて無くなったと思われているが》
みたいなものにこだわって、ここに描いている気がした)のごく限られた地域から
外に出たことが一度もない超うぶな娘さんもいた。
その若い芸者さんは、あるお客の旦那さんに気にいられ、神戸の方(表日本)に
旅に連れて行ってもらった。
そのとき、初めて目にした陸のような大きな島、淡路島を見て感激して言った。
「あれ、外国ですか?!」
その姿に感動して、旦那はこの芸者さんといっしょになった。