という新書を読んだ。
(グーグル画像より)
「知識」は昔ごく一部の限られた人々に独占され、権力支配の道具・手段としても
使われてきた。けれど、知識(科学技術)が本来的にもつ普遍的な性格は、
それがゆえに徐々に一般の人々に解放され、歴史を切りひらく原動力ともなった。
本は「知識」について、教科書の歴史のような話と、現代の「知の泉」ともいえる
インターネット、ビッグデータの活用による人工知能の人間・社会に及ぼす問題
などが、とても読みやすく、わかりやすく書かれてあった。
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とくに印象に残ったことだけ書きます。
きょうはネットをやっている人の多くが世話になっている「情報発信」と
「ウィキペデア」のことを。
(なお次回は「グーグル」と「人工知能」)
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■ 「情報発信」
インターネットにより、ふつうの個人が社会に向け
きわめて簡単に自分の作品、思いや考えなどを伝える
ことができるようになったという事実の重さ。
本も述べるように、まさしく人類の歴史における歴史的な
出来事。
ブログも「情報発信」の実例。
自分が○○さんとブログを通して知りあった縁、偶然は宝クジで特等に当たった
ようなもの。
いろいろな人のさまざまな人生のナマの息吹を感じる。
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■ 「ウィキペディア」
検索により、何でもきわめて簡単に調べられ、ほぼ
無料で知識が得られる。
① パソコン検索欄に、調べようとする物事の名前(キーワード)を打ちこむ。
それはいいけれど、知りたい物事の名前を知らない(思いだせない)ときがある。
けれどそのうち、イメージする、心で想うだけで名前がわかり(思いだせ)、
それだけでなく、そのキーワードを自動的に打ちこんでくれ検索できるようになる
だろうか?
(そうなれば便利だが、心のうちが見透かされる。ヘンなことは想われない。
困る)
②画面には表示された多くの「答え」が並ぶが、上の方に「ウィキペディア」
によるものが出ている。
(「ウィキペディア」の世界中からの信頼がいかにあついかを感じる)
ところで、
ウィキペディアのコンセプトは、みんなの知恵を集め
(「集合知」)よりいいもの正確なものに変えようという
姿勢・態度のようだ。
人類はウィキペディアを見習うとよいのに…
広島・長崎への原爆投下からこれほど経って、ホンジュラスが50か国目として
署名し、やっと核拡散条約が来年1月に発行される運びになりました。
核保有の大国(小国であっても北朝鮮も「抑止論」という大国と同じ理屈で
保有国になった)及び日本(「アメリカの核傘下にある」という理屈で)も
署名していません。