カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.6.9  生き方ヒント 神話①

          カメキチの目

 

 

河合隼雄さんの本は強く考えさせられることがあまりに多い。

自分だけ知るのがもったいない。

(きょうも河合さんの「神話メッセンジャー」となります) 

 

『神話の心理学 現代人の生き方のヒント』

 

二回連続のうちの①。

初めに長い引用文を載せますが、河合さんの言わんとされることが

極めてわかりやすく書かれています。

(引用文だけで結構ですから、是非ともお読みください)

 

【引用】

■ 物が豊かになると、人間が幸福になるためには、それに見合うだけ心のほうも

はたらかせなければならないのである。

物が乏しいときは、食っていくだけで大変だったので、心のことなど余り問題に

ならなかった。

しかし、生活が豊かになり、生き方の選択肢が増えてくると、

それに相応する心の豊かさ、心の知恵が必要になる。…

 

■ キリスト教文化圏において、個人主義自由主義が生まれてくるためには

長い歴史があり、個人を尊重する考えが生まれてきても、

その個人は神とのつながりを失ってはいない。

個人主義は神とのつながりによって、利己主義になることを防げるし、

各人は神を介してつながることになる。…

日本人は、いまさら昔のしがらみ状態がよかった、と言うわけにもいかず、

個人が大切と言いつつ、何のつながりも支えもないままに、不安をかかえて

生きている、というのが現状ではないだろうか。…

 

■ (「私の木」を見つけた)

この世に「私」という人間が存在している、というのは考えてみると

不思議極まりないことである。

誰も、自分の希望や意思によって、この世に生まれてきた者はいない。

気がついてみると「私がこの世にいた」ということになる。

 

考えてみると、人間が生きていくということは大変なことである。

自分という唯一の存在はいったい何によって支えられているのか、

しかも、必ず死ぬとなると、死んでからはいったいどうなるのか。

人間の一人ひとりがこのような根元的な問いをかかえて生きている。

人間はこのことの解決のために、さまざまな宗教を持ち、

風俗習慣と言えるようなものも、あんがいこのために役立つ工夫がなされており、

それぞれが心の「平穏」を保って生きてきたのであった。

ところが、現代人の多くはそれらを棄て去って生きようとしている。

特に、日本人はそうではないだろうか。

 

■ (著者の心理療法家としての体験)

私よりも一本の木のほうが、ある人の支えとしてはるかに十分に機能するのである

そして、それはきわめて個人的なものでありながら、

どこかで普遍的なものにつながっている。

 

科学の知は、自分と関係のない人間という者の死について述べている。

しかし、この人の欲しているのは、

「ほかならぬ彼女」という自分との関係ある存在の死についての答えなのある。

「神話の知」によって、

私と私を取りまく人や物が宇宙的秩序のうちに意味を持つことになる。

「私」は孤独になるはずはない。強力な意味のネットワークによって、

しっかりと支えられているのだ。

昔の人は、そのような支えのなかで安心して生きていた。

死んでから行くところについても「神話の知」は答えを提供してくれた。

死んでからのために、生きている間に大いに努力して準備する人も多かった。

この人たちは死を恐れる必要はなかったし、落ち着いて生きていきことができた。

 

これに対して、日本は、近代科学がその姿を相当明確にしてから、

一挙にそれを取り入れたので、「科学の知」がどんどん「神話の知」を壊し、

日本の現代人で、最初に述べたような「関係の喪失の病」に苦しむ人が多くなった

「神話の知」が消失することは、この世から「聖域」がなくなることにつながる。

 

(無意識内に存在する「神話産生機能」) 

科学の知」はもちろん大切である。しかし、それだけが真であるとして、…

自分が自分の人生を歩んでいくのを支える「神話の知」を見いだす努力を

忘れてはならない。

ユングはこのことを「おまえは、いかなる神話によって生きているのか。

おまえの神話は何か」という自分自身への問いかけとして感じた…

個人主義というのは大変なことである。

それまでは共同体によって共有する「神話の知」によって安心感を得ていたのに、

自分一人の努力によって、自分を支える「自分の神話」を見いださねばならない…

 

神話産生機能ということが、いかにも「うさんくさい」…「危なかしい」ことに

深く関係しているのをよく認識していなくてはならない。

だからと言って、これを否定してしまっては、

人間が安心感を持って生きていくことができないのである。

しかし、どのような人であれ、その無意識内に神話産生機能を持つ、ということが

われわれに希望を与えてくれる。

 

それは、別に太陽が女神でも神様でもないが、太陽の昇るのを見たとき、

自分の心のなかに生じた深い敬虔の感情を表現するとなると、

太陽に向かって手を合わすのがもっとも適切だ、ということになる。

神々は人間の内界の住人という表現をしたが、神々の姿は、

人間の内的体験をあらわすのに適しているのだ。

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太陽イコール神ではなく、ある人にとって山頂に立って太陽の昇るときの感動が

すなわち神体験なのである。

これは言うならば、そのとき内界に顕現した太陽の女神を拝んでいるのである。

このようなことを忘れ、科学技術と結びつく外的事実のみに注目すると、

神話は「絵空事」ということになって、一挙に価値が下落してしまった。

そして神話を否定し去り、便利で快適な生活を築き上げながら、

不安とストレスに苦しめられているのが現代ではなかろうか。

それは、神話が試みてきたように、

自分という存在をこの世界のなかにどう位置づけるのか、

自分が生まれ死んでいくという事実を、どのように納得するのか、

という問いに対する答えを見失ってしまったからである。

 

(注:黒の■( )、字はこっちでしました)

 

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四つ書きます。

 

物が豊かになると、人間が幸福になるためには、それに見合うだけ心のほうも

はたらかせなければならないのである

 

 幸福は、物が豊富であるとか便利・快適などの問題

ではないので、「ああ、私は幸せだなぁー」と感じる

努力をしなければならないということだろう。

努力嫌いの私でも、こういう努力はしたい。 

 よくいう「心の豊かな人」になる努力。

 

 対象としての物がいくら増え豊かになっても、

物を受けいれる側の人、物を扱う人間、つまり主体が

物に追いつかなかなくては。

技術の革新・進歩のすさまじい速さに、人間が追いついていない気がする。

技術に振り回されている。

(こんなことでは、そのうちAIとかロボットにこき使われるではないだろうか。

「こんなはずじゃなかったトホホ…」と気づいたときは手遅れの気がする)

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キリスト教文化圏の人々: その個人は神とのつながりを失ってはいない。

個人主義は神とのつながりによって、利己主義になることを防げるし、

各人は神を介してつながることになる

日本人: 個人が大切と言いつつ、何のつながりも支えもないままに

 

 神のような絶対者を心に住まわせるならば、

利己主義になることを防げる…。

 

そうだは思うのだが、

 エスは「人を愛せよ」とは教えても、「人を殺せよ」とは、

 絶対に言ってはいない。

エスが神の教えを説いて…、マホメッドブッダが…

(宗教はすべて愛と慈悲を説くが)

それぞれの信者は数えきれないほどの戦争で数えきれないほどの人を殺してきた。

 

本来「殺戮」は、命ある人間の自然な本能に反するのでイヤなのだが、

イヤでもお国など上からの命令であれば仕方なくやる。

イヤな、したくない行為でも、そういう行為を自分に納得させるために、

古今東西、神仏は使われてきた。

「この戦いに勝つことを、神(仏)は望んでおられる」と。

イスラム原理主義は「神に召される」ため「これは聖戦」と信じテロを起こす。

たぶん、先日の黒人を太ももで絞め殺した白人警官も、《神仏ではなくとも》何か

大義名目を持ちだし、自分の行為を正当化、納得させたに違いない)

 

(科学技術と同じように)神仏も、信じようによっては

(盲信することにならぬように)気をつけなければならない。

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この世に「私」という人間が存在している、というのは考えてみると

不思議極まりないことである

人間はこのことの解決のために、さまざまな宗教を持ち、

風俗習慣と言えるようなものも、あんがいこのために役立つ工夫がなされており、

それぞれが心の「平穏」を保って生きてきたのであった 

 

 科学的・合理的な考え方が、まだ一般の人たちの

ものになっていなかった昔は、宗教によって自分の

存在の不思議を納得し、風俗・習慣によって生活した

わけだ。

各地の神社や寺を詣でる人々の多さ、祭礼の賑わい、盛り上がりをみると、

本来が自然の存在としての人間の生命のエネルギーのようなものを感じる。

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私よりも一本の木のほうが、

ある人の支えとしてはるかに十分に機能するのである

科学の知は、自分と関係のない人間という者の死について述べている

「ほかならぬ彼女」という自分との関係ある存在の死についての答えなのある

   ↓

神話の知

 

「神話の知」が消失することは、この世から「聖域」がなくなることに…

その無意識内に神話産生機能を持つ、ということがわれわれに希望を与えて…

太陽イコール神ではなく、ある人にとって山頂に立って太陽の昇るときの感動が

すなわち神体験なのである

それは、神話が試みてきたように、自分という存在をこの世界のなかに

どう位置づけるのか、自分が生まれ死んでいくという事実を、どのように

納得するのか、という問いに対する答えを見失ってしまったからである

 

 昨年の12・20『M世界の…』の拙ブログで、きわめて衝撃的な事件だった宮﨑勤

事件とA少年事件を丹念に取材して書かれた本の感想記事を書きました。

(記事にも引用しましたが)本の最後に、A少年家族の故郷である沖永良部島

島生みの神話」に触れられていました。

世界と私(人間)の関係を説き明かすその神話を、A少年と家族が知っていたら、

あんな残忍な事件は起きなかったかもしれない。

 

沖永良部島島生みの神話」から 

世界が私を、神のような大きな力で支えていること。

私が世界を、絆のような小さな力で支えていること

 

5日、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 の前代表、拉致被害の横田めぐみさんの父

滋さんが87歳で亡くなられた。

「もう時間がないんです…」という拉致被害者のご家族のみなさんに政府はいかに

無力でやる気がないことか…。

拉致被害者問題は被害者ご家族の問題などではまったくなく、日本政府の最優先、

解決すべき外交の最重大課題なのだ。

(なぜなら拉致被害者には日本国民なら誰でもなりえた。さすがにいまの時代には

起きまいが、昭和なら、私があなたが攫われていたかもしれない

 

拉致という国家による誘拐を犯した北朝鮮が悪いに決まっている。

(戦争で、どれほど酷い被害を当時の日本から受けていても、報復まがいの罪が

許されるはずがない)

「拉致は無法だ。絶対に認められない」

そんな幼児でもわかるような理屈をお経のごとく唱えるだけの脳のない政府。

被害者返還を本気で取り組もうとすれば、何をなすべきか、

ほんとうにわからないのだろうか?

(もう時間はない)

 

 

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                          ちりとてちん

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