カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.2.8 「偶然」と「神」 (中)

本には考えるところが多くあったのですが、絞りました。

絞っても八つあり、きょうは四つです。

 

【引用】

①「現代社会は科学技術の発達と個人主義の蔓延により、

人間は一人でも生きてゆけるという思想を流行らせている。

この大災害は、それが本当ではないことを確証した

②「あらゆる存在者を存在させている根拠は「」である、というのは信仰である。

哲学的には無根拠、深遠、無、空としか言えない。

その無根拠を、信仰者は認識するのではなくて、愛として体験する

③「見知らぬ人でありながら、偶然、苦しむ他者に出遭う時、

われわれの心の底から吹き上がる共苦、同情」の息吹は、

時間を超えた存在の彼方での関りを暗示している

④「強者による弱者への保全を、慈善行為と考えてはならない。

なぜなら、能力は各人に偶然与えられたものだからである。…

能力を私する理由はないのである。

能力は個人のものではなく、社会の共有財産であると考えられるべき

 

(注:「」、太字太字はこちらでしました。なお次回最後の⑤~⑧も同じ)

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人間は一人でも生きてゆける」ことはぜったいできないことを、

東日本大震災平手を頬に浴びせるようにわからせてくれた。

 

科学技術の進歩は、「一人でも生きてゆける幻想、錯覚を与え、酔わす。

麻薬のような効果があるかもしれない。

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「愛」は、生まれたときは母性愛という母の愛に始まり、

性愛とか同胞愛とか人類愛などを経て、

(現代は「孤独死」もあるけれど)死ぬときも人の愛に包まれる。

 

しかし、愛というのは心のことだから信じなければならない。

「信心」とか「信仰」(呼びかたの言葉はどうでもいいけれども)によって成りたつ。

(哲学ではなくて宗教の問題なのだ。哲学では「愛」の「存在根拠」は無いのであり、空であり、

深遠であるとしかいえないらしい)

             ↓

「愛」の「無根拠」を、「信仰者は認識するのではなくて、愛として体験する

のであった。

岩田さんは、哲学者である前にひとりの人間、一キリスト教信者としての

自分の「愛」を、東日本大震災の名状しがたい惨劇に遭遇するという経験をとおし

感じ、体験された。

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私は身体に障害があり、その障害は他人にはわかりにくいので(杖はついていても

老人なので「転ばぬ先の杖」と想われている、と思う)ヘルプマークをつけているが、

気づいた人に親切を受けることがある。だから、

「見知らぬ人でありながら、偶然、苦しむ他者に出遭う時、…

共苦、同情の息吹は、時間を超えた存在の彼方での関りを…」ということが

共苦、同情を受ける側として、とても強く実感できる

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ボランティアの神髄というか、根本的なあり方について深く考えさせられた。

ロールズ現代の哲学者のひとり。著者はその人の思想も研究対象のようです

 

能力を私する理由はない」。

「悪賢い」「悪知恵がはたらく」という言葉を想った。

それから、ほどなく大嫌いな人物、H・竹、S・安、T・麻の三人がうかんだ。

(吐きそうになった)

 

 

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                         ちりとてちん

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