はじめは①と②です。
①〈まえがき〉
新型コロナ禍の直撃を受けたのは、まず非正規労働者、そして自営業者や個人事業主だった。
ここに新型コロナ感染症の「階級性」があらわれている。
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一般に現代社会には、資本家階級と労働者階級という二大階級のほかに、二つの中間階級がある。
→新中間階級(大・中企業《事業所》の中間管理職など経営・支配に少し関わっている労働者)
旧中間階級(小さな商店や町工場など)
小さな商店や町工場が多数あるからこそ、多様で個性的な商品が流通し、ニッチな分野での商品開発も
進んできた。…だから窮地に陥っている自営業者や個人事業主を社会全体で支えなければならない
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②〈「総中流」論の起源〉
→「中流」意識はアンケート調査によってつくられる
階層帰属意識に関する集計結果をもとに、この社会は中流階級の社会だ、均質で平等な社会だなどと
する主張は、日本だけではなく海外でも、古くからみられるのである。
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忘れられつつあった「階級」という用語
→アンケート調査の内容、尋ね方によりどの国でも9割が「中流」という階層意識をもち、
自分が「労働者」という「階級」にあることを忘れてしまう。
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〈「総中流」はなぜ受け入れられたのか〉
それはおそらく、「中流」という言葉に「良きもの」「望ましいもの」「人の理想的なあり方」という
イメージがつきまとい」
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〈日本人はなぜ自分を「中流」だと思ったのか?〉
人々は、自分の生活水準が社会全体のなかでどのような位置にあるのかを知らなかった。…
学歴も職業も異なる人々と比べて、自分の生活水準が高いのか低いのか、判断がつかなかった。…
だから、「あなたは”中“だ」といわれても、これに疑問ももたなかった。
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①〈まえがき〉
■「新型コロナ禍の直撃を受けたのは、まず非正規労働者、そして自営業者や
個人事業主…。ここに新型コロナ感染症の「階級性」があらわれている」
この3年間、新型コロナ禍のニュースで聞かない日はないほどだった。
しかし、私は退職し「隠居」状態のいまの自分の目で世の中を見ているので、
かつては労働者だったし、その労働者意識は持ちながらも、
「階級性」という意識は薄くなり、そこから現状を見てはいなかった。
(学生やまだ20代の若者ならアルバイトなどの「非正規」《私も27歳のときチリ紙交換をした》もあり
だが、30を過ぎていつ辞めさせられるかわからない仕事に就いている不安、心配はどんなだろう。
どれほど辛いだろう。
私の場合はチリ紙のあと正規で就職できた。その時代は正規雇用がふつう、あたり前だったのだ。
《その時代は、「自分に合っている仕事」にこだわれば別だが、内容をとくに選ばなければ正規で
何かの仕事に就けたのだと思う》
真面目に働き続けば、そこそこの生活ができ、将来を案ずることもなかった。
それがふつうの人の幸せというものだった)
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「階級性」。
ある意味単純なことなのだが、とてもたいせつだ。
非正規雇用が一般化し、格差が問題にされるようになってから、マルクスが再び
読まれるようになったという。
(資本主義社会は資本主義的生産が主ということ。
資本家が機械や道具、工場を所有し、労働者を使って原料・資材となるものを仕入れて《仕入れる場合
資本、つまりカネが必要》製造し、出来あがった商品を資本家は《船舶、トラックなど輸送する機械を
所有し》労働者を使って運送し、店舗などの販売手段《スーパーなど小売りであれ、前段階の市場や
問屋であれ》を所有した資本家が労働者を使って商品を売る。
岸田首相の「新しい資本主義」が、はじめはきわめて抽象的でちっともわからなかったが、最近になり
具体的になってきた。
要するに、国があてにならないから老後の心配などにそなえ国民が貯蓄しているお金を、株式を買う
などして市場に出してもらう、つまり資本家の必要とする「資本」というカネに回してほしい
ということ。
「国民のみなさん、資本家になりましょう」ということだろうか?
で、誰が労働者になるというのだろう?
《社会に、人々が生きていくために、欠かせない仕事。労働の一方で、そうでははない仕事がある。
「ブルシットジョブ」という言葉をはじめて知った。
コロナ禍のなかで、「エッセンシャルワーク」という、だいたいが「きつい、汚い、危険」という
3K労働だが、社会にどうしてもなくてはならぬ仕事が注目を浴びた。
これとは真逆にどうでもいい、金融コンサルトなどのようになくてもいい仕事があぶりだされた。
和訳すれば、「クソどうでもいい仕事」)
マルクスは『資本論』で労働者の立場から、資本主義的生産という仕組み、
経済システムを明らかにする中で、よくいわれる「搾取」がなぜ起きるかという
謎、からくりを説いた。
ソ連も東ヨーロッパも消え、残る中国や北朝鮮は聞くとおりの社会。
マルクスの理想とした労働者、人間が人間として尊ばれる世の中とは
まったく違う。
2008年、戦前のプロレタリア文学の金字塔のような小林多喜二の『蟹工船』が
ベストセラーになった。→詳しくは「コトババンク」というネットの「蟹工船ブームとは」を
お読みください。
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■「小さな商店や町工場が多数あるからこそ、多様で個性的な商品が流通し、
ニッチな分野での商品開発も進んできた。…
窮地に陥っている自営業者や個人事業主を社会全体で支えなければならない」
(はじめの【引用】でも書きましたが、この本では著者は、労働者と資本家の間には「中間階級」
というのがあるといい、昔《旧》の「中間階級」は自営業者や個人事業主、いま《新》のは大・中企業
《事業所》の中間管理職など経営・支配に少し関わっている労働者をいう)
スーパーやコンビニ、100円ショップなどの小売りでの買い物は身近な行為なので
いつもはあまり意識しないが、ときどき多様多彩な商品の数々に圧倒される。
「どれにしようかな?」と迷ってしまう。
そして、手に取りデザインとか使い勝手とか確かめてみる。
そして時々、それら一つひとつの商品が小さな町工場で商品開発され、そこで
働く人たちの手を経て、いま自分の手元にあるという事実、現実がすごく尊い
不思議に思えてくるときがある。
家屋・ビルとかの建築物、家にあるあれこれの家電製品とか、自家用車など
(もちろん公共のさまざまなインフラ設備・システムなど)大規模な企業・事業所などでしか
供給・維持・管理できない分野は広く大きいけれど、
「日用品」という言葉もあるように、日常的な身のまわりの物は、生物として
生きていくために絶対かかせない食料品を含め、小さな町工場などが担っている。
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②〈「総中流」論の起源〉
「階層帰属意識に関する集計結果をもとに、この社会は中流階級の社会だ、
均質で平等な社会だなどとする主張は、日本だけではなく海外でも、
古くからみられる」
「階層帰属意識」に限らずアンケート調査というものは、私はほとんど信用しない
(私自身以上にいい加減なものだと思っている。もちろん真面目なものがあるとは思いますが)
その「アンケート調査」がいかにも客観的ですという装いをどんなにこらそうとも
たいてい何かの意図をもってある方向(いまの話の場合は生活が「中流」)に導こうと
している。
(新聞テレビなどマスコミの行う世論調査の質問項目のなんとくだらないことだろう)
「高度経済成長期」と、後にそういわれた1970年代前後は、「どう感じるか?」
というアンケート調査ではなく、政治的な右とか左を問わず、どんな立場からも
国民の客観的な生活向上がみられた。
「中流」はともかく、現実の生活向上があったからこそ(生活意識の「上・中・下」は
相対的なので「厳密性」はどうでもよいが)国民の多くが「自分は中流」と回答した。