先日、よく聞くようになった「キッチンカー」の特集をテレビでやっていた。
1台では、限られた料理、メニューしか用意、供給できないけれど、
たくさん集まれば災害時に大活躍できるという。
その放送と前後して、「トイレカー」というものが紹介されているのをみた。
「トイレカー」は「キッチンカー」と似ているが、造りがちょっと大き目。
荷台にはキッチンではなくトイレが設置され、排せつ物をためなくてはならない。
(グーグル画像より)
なんで「トイレカ―」?
これはまったく災害目的に開発され、すでに、九州北部豪雨や熊本地震でも
避難場所の被災者のみなさんに利用してもらい、たいへん喜ばれたという。
(地球から見ればすぐ隣どおしで起きている二つの大不幸。一方は1年目を迎えた戦争。
もう一方はトルコ南東部の大地震。
戦争は人間そのものだけでなくその人間に関わるすべてが破壊される。「破壊」を目的に投入される
兵器=カネの全部を自然が起こす「破壊」にまわす智慧は、これほどの文化・文明の時代になっても
《個人を見れば別にしても》集団としての人類にはなさそう)
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先月、雪でJR京都線の電車が立ち往生、乗客が5時間も車内に閉じこめられたまま
新名神高速道ではトラックなどが丸1日いじょう渋滞で止まったままだった。
そのニュースを聞いて、心配でいちばんに頭に浮かんだのはトイレのこと。
「排せつ」事情がどうなっているのかは、動物ではない人間にとって
とても大事なことに違いない。
生きものとして当然の「排せつ」のような生理的行為であっても、
人間は、文化・文明をとおして行う。
(その際、女性・男性の違いは決定的な気がする。男は「立ちション」というのがあるけれど、
女性にはない。「死活問題」と感じる方もいる)
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私の子ども時代は、学校も駅のトイレも小便はセメントで固めた凹状の5、6mの
長い溝が「便器」といえば便器で、5、6人が並んで用を足した。
(他の公衆便所もそうだったかは覚えていない。が、私が知らないだけで、大きな街、都会は違った
のだろう。
(グーグル画像より)
もちろん「仕切り」はない。それはいいけれど、「便器」はセメントで固めただけの物だから
ときどき、自分のだけでな《自分のは我慢できる》他人の勢いよく出た小便が跳ね、どこかを汚す
のには、子どもであっても閉口した)
『13億人のトイレ-下から見た経済大国インド』 佐藤大介 を読んだ。
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私の関心は、「インド」より「トイレ」「排せつ事情」のほうが大きかった。
本を読むまでインドの現状を知らなかったけれど、「途上国」のトイレ、排せつは
気になる。
テレビドラマや映画でそれらの国、地域が映しだされると「便所はどこ?」
「しくみは?」と画面に目を凝らす。
だが、ストーリー(ニュースも報道内容)に直接の関係がなければ、まず映らない。
私は経験者なので、昭和30、40年も前半くらいの日本、しかも水洗が登場する
ずっと以前の田舎のトイレ(当時は「トイレ」とは言わない。「便所」と呼んでいた)は
よく覚えている。
(どうでもいいことだけど、思いだしたら懐かしくなったので三つだけ書きます)
① 便所は、排せつだけを目的に建てられた小屋風の、独立した建物。
② 隣りあって、戸のある閉鎖的な大便用便所と、ない開放的な小便用に
分かれている。
大便用便所はいわゆる「ポットン式」の造りだから、排せつ物は落下して、
半分くらいは地面の下になっている大きくて深い壺みたいなところに溜まる。
(溜まったものは、溢れる前に田畑に肥としてまかれる)
大便器のある床面は地面より少し高く、そこまでは地面から数段の階段が
設けられている。
(階段というのは、「踏み台」の縦割り半分が便所小屋に取り付けられた格好)
ところで下の写真のように正確には「大便器」というものはない。
ただ長方形に床の真ん中あたりが穴になっていて、安全(便壺に落ちることのない
よう)のため足の置き場がわかるようになっている。間違いのないようしゃがむ
(グーグル画像より)
(暗くなってからは懐中電灯を持ち、家の前の広場を抜けて便所に行く。
お化けが出そうで怖く、また穴に落ちないよう気をつけなければならないのでたいへんだった)
小便器(木製または陶器製)はある家もない家もあった。
小便器はないが小便する場所(先に書いたセメントで固めただけの一人分の凹状の溝)
はあった。
③ ちゃんと紙で拭いていた。
が、トイレットペーパーはなく新聞紙など。
(後にはチリ紙を使うようになった)
いまは現代日本の文化の中で暮らしているから、それに合わせているけれど、
少年時代は、小便はそこらの野山、川、田畑などで(学校の先生に見つからなければ)
平気でやっていた。
(長じては、川なら「水の神さまゴメンなさい」田んぼだったら「田の神さま…」と呟き、田畑なら
肥やしになると言いわけした)
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本にもどり、インドの話。
現代でも、
「人口の半分がトイレのない暮らしをしている」
…
「トイレと農村の関係を深堀すると、インドが抱えているさまざまな問題が浮かんでくる
〈トイレに行くのも命がけ〉
(家から外に出て、男性はそこらで立ち小便できるが、女性は恥ずかしくてできないので身を隠せる
草や木の茂みまで行く)茂みまでは…500㍍…1㌔ほどの距離だ。…
(命がけなので、1日に1、2度しか行かないという)尿意や便意を1日1度に集約することなど
可能なのだろうか。…
インドでは毎年約80万人がヘビに襲われ(用足しに行く途中、また最中に)約46.000人が
命を落としているという(2019年11月15日付有力紙『タイムズ・オブ・インディア』による)
〈「安全のため」にトイレがほしい〉
(女性と子どもたちへのアンケートでは)「健康のためにトイレがほしい」」と回答したのは1%…
「安全のため」と答えた割合が49%と最も多かった。…
インドには家父長的な考え方が今も根強く残っており、女性を無力な商品のように扱い、
虐待することはなくなっていません(レイプ犯罪の多さに顕われている)」
近いうちに中国を抜いて世界一の人口大国になり、経済面でも大躍進中のインドは
(中国もそうだけど)都市と農村の格差があまりに大きい。
「家にトイレはないけれど、携帯電話ならある」
「トイレなき経済成長」
他にもいっぱい、読めばビックリするような話がたくさん書いてあったが、
終わり、あとがきで著者は書いていた。
「日本では、ほとんど誰もが清潔なトイレにアクセスすることができ、トイレのある暮らしが日常に
組み込まれている。しかし、インドではそうでない。
「トイレ」というキーワードで、貧富の差やカースト、都市と農村の格差といった、
インドのさまざまな姿が見えてくるのではないか。そう思って、取材のためにインド各地を歩いた。
そこから見えてきたのは、経済成長という言葉の陰でさまざまな問題を抱え、
多くの人たちが苦闘しているインドの姿だった」