カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.2.24 『ファシズムの教室-なぜ集団は暴走するのか』

ファシズムヒトラー北朝鮮のような国だけのものではないということを

強く思った。

身近に、それとわからぬよう、そっと潜んでいるものだと痛感した。

 

ファシズムヒトラーキム・ジョンウンだけの「専売特許」、彼らだけが

体現しているのではない。

神さまとして崇め、親のように慕う無垢の国民一人ひとりがいてこそ可能なこと。

 

国民の圧倒的な支持がなければ、ファシズムという奇怪な現象はあり得ないことを

この本で強く教えられた。

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ファシズムの教室-なぜ集団は暴走するのか』  田野大輔・著

 

 

筆者、田野大輔さんは大学の先生。

この本は、田野さんが勤務先の大学の広い教室で長い間にわたり毎年実践された

「体験学習」の報告みたいなもの

ズバリ「ファシズムの教室」。

(余談ですが、副題の「なぜ集団は暴走するのか」は、読みおえ「集団になるとなぜ暴走するのか

とした方がよかったのにと思いました)

 

「体験学習」というと、このごろよく聞くようになった小中学校のカリキュラムを

想像するけれど、ここでは大学の取り組み。

参加した大勢の学生たちに、ファシズム」は他人ごと、自分には関係ないもの

だと決して捉えてはならないことを体験、身をもって学んでもらうというものだ。

 

ファシズムの教室」は、具体的には

            

田野さんをヒトラーになぞらえ、授業の初めと終わりには学生みんなが、

個人の発言のさいにはその人が、ヒトラー式敬礼でハイル、タノ!」と

叫ばなければならないルールを設け、命令する者とされる者という

疑似「絶対的な関係」を少ない期間ながらもくり返すことによってかもし出し、

最後は教室から外に出て、大学構内ベンチでいちゃいちゃしているカップ

(「サクラ」として演じている見つけ、「リア充 爆発!」と叫び糾弾する

というもの。

そして、

この体験学習に参加した学生たちの感想からファシズム」が決して突拍子もない

特殊なものではないことを明らかにする。

天皇を「神さま」、自分たち国民を「赤子《せきし》」とした戦前の日本もなんら変わらない。

《戦争反対を唱えた者はごくごくごく少数》ほとんどの日本国民は心底、あの戦争は正しいと信じ、

信じなくても死んでいった数百万人の人々のことを悼み、8月15日の玉音放送で涙を流した)

 

        

              (グーグル画像より)

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「おもしろそう…」という好奇心もあってこの体験学習に参加した学生たち。

(必修ではないので受講、参加は自由。イヤならしなくていい)

はじめは、ファシズム絶対に取りこまれないぞ、と自信たっぷりだった者も

ハイル、タノ!という敬礼を恥ずかしがったりしていた者も、しかたなく

であってもハイル、タノ!」をくり返し、続けるうちに慣れ、恥ずかしさは薄れ

取りこまれていく。

みんなで一致した行動をとる、集団で同じことをすることから生まれる

熱気」のようなものに惹かれ、心地よさを覚えさえする。

集団に酔う。

(みんなで力を合わせ協力することから生まれる連帯感といったものではなく、集団へ埋没、集団

溶けこむことによる陶酔感のようなもので自分を失う「自己麻酔」「自己催眠」のようなものか。

トランプに続き、ブラジルでもボルソナロが大統領選挙の敗北を認めず、彼の支持者が集団

国会突入をはかったことを想った)

 

ファシズムの根本原因は「権力・権威への服従

(バカにしていた《とまではいかなくても尊敬することはない普通の》相手でも、その相手が

権力・権威を身につけたら、大勢の人は服従する《歴史をふり返れば一目瞭然》。 

学校では、教師は教える立場なので客観的に「権力・権威」者、児童や生徒たちは教えられるので

服従」者)

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                (グーグル画像より)
強く心に残ったこと五つ。

 

① 集団的熱狂は、その内容にかからず、「集団的動物としての人間の本能に

直接訴える力をもっている

 

強力な指導者に従って行動するとき、…否応なく集団的熱狂の渦に飲み込まれ、

敵や異端者への攻撃に駆り立てられる。

重要なのは、その熱狂が思想やイデオロギーにかかわりなく、

集団的動物としての人間の本能に直接訴える力をもっていることだ。

全員で一緒の動作や発生をくり返すだけで、人間の感情はおのずと高揚し、

集団への帰属感や連帯感、外部への敵意が強まる

 

集団的熱狂の渦」ということ。

テレビドラマでカラオケボックスでみんなが盛りあがっているのをみる。

それは仲間意識がなせるものといえるけれど、仲間だって集団のうち。

 

その熱狂が思想やイデオロギーにかかわりなく」というのは、若かったころ

よく参加したデモや集会の熱狂も、カラオケの盛りあがりと集団的熱狂

ということではなんら変わらない。

(これもドラマの話。チンピラが数人で一人の人を襲い虐める、殴ったり蹴ったりするのも同じ。

「多勢に無勢は卑怯」という倫理感がわき起こる以前の人間の本能、「集団的動物性」が露骨に

顕われたものに違いない)

 

② 権力・権威へ服従、盲従は不思議なことだが、「ある種の「自由」が

経験されている

 

権威への服従がもたらす「自由」

客観的に見ると従属的な立場にいるのだが、本人の内部では自分が何をしても責任を問われないという

解放感とでも呼ぶべきものが生じている。…服従によってある種の「自由」が経験されている

 

「自由」が語られるとき必ず「責任」がセットで語られるけれど、

ファシズムは「権力・権威への服従」なので、責任は権力・権威者がとってくれる

ので服従者には責任の取りようはない。

で、「ある種の「自由」」がある、感じられるわけだ。

(権力や権威に服従すれば何をしてもいい、許される。

かくして、権力・権威者さえためらうことを服従者はやってしまう。

怖い)

 

③ 「体験学習」の工夫で「席替えで受講生を分断

(放っておけば大衆《ここでは学生》は友人、知人、気のあう者同士が互いにくっついて座る

「体験学習」では工夫し、それを禁止して指導者《田野さん》が指定した席に座る)

 

席替えで受講生を分断

指導者と大衆の間にある中間集団を破壊し一人ひとりをばらばらに分解することによって、

ただ一人の意思がすべてを支配する体制をつくりだすという、ファシズムに典型的な手法

(大統領時代のトランプの「分断政策」を想った。

トランプ本人が「ツイッター」で有権者一人ひとりに語りかけ、大衆とダイレクトにつながる。

トランプ本人が「ツイッター」で有権者一人ひとりに語りかけることは、視方を変えれば

一人ひとりをばらばらに分解する」ことでもある)

 

④ これまでの民主主義教育は観念的。体験をとおして肌身で感じる必要。

集団行動の危険性に正面から向き合ってこなかった

 

民主主義教育の限界

従来の民主主義教育は、こうした集団行動の危険性に正面から向き合ってこなかった

理性に訴えるだけでは不十分

 

⑤ ファシズムの芽は「社会のどこにでも

 

小中学校をはじめ、社会のどこにでもこの構造がある

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集団的熱狂」、

「ある種の自由」、

「分断」、

「民主主義教育の観念性」、

「社会のどこにでもこの構造がある」

みんな突っこんで考えてみたことがなかった。すごく考えさせられた。

 

 

 

 

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                           ちりとてちん

 

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