カメキチの目
【続き】
[暮らしと人びと①]
伯父宅は長男だから、あばら家でもいちおう本家というのだろう(すぐそばの次男である父の家、つまりわが家はもっとひどいあばら家だった)。
裏山の急な崖に張りついた粗末な家で部屋数は少なくても、父の姉弟妹(私には伯母叔父叔母)が大勢いた。
「大勢」とはいっても、小さな家のことだから、しれている。
幼い私には、貧乏生活でも身内が大勢のにぎやかな暮らしは楽しかった。イヤな思いではひとつもない。
幼いときの生活、体験は、もとから選べようはずもなく、ただ与えられる一方だから、不平不満というものは起こりようもなかったのだろう。
以降の成長で味わった数々の生活体験も、だいたいのことは「そんなものか…」とやり過ごし、不満をこぼすことはなかった。
長じて友だちがうまいものを食べ、車に乗り、楽しそうに遊んでも(やせ我慢ではないです)うらやましいとは思わなかった。
「より便利」「より快適」(今は「より長生き」「アンチエイジング」も追加)を目ざし、現状に満足してはいけないと無限の発展を遂げていくかの勢いだ。
だが、科学技術はこのまま「発展一筋」でいいのだろうか?
限りなく、「より便利」「より快適」の道を進むのが、私たちが幸せになることなのだろうか。
しばらく前の朝日新聞デジタルには、科学技術の「発展」はとめられなくても、たとえばAI・ロボットにより人間が駆逐される方向ではなく、よりよいつき合い方を考えてはいかなくてならないのでは…と書いてあった。
AIというものは、ある一つの分野だけに特化したもので、そこだけから膨大な資料等を集め(「ビッグデータ」)、答えを出すもの(だからAIのビッグデータをどんどんどん増やしていけば、将棋もなにも、初めこそ勝っていても人間はいずれAIに負ける)。
おもしろいことが書いてあった。
「馬車」をいくら集めても、つないでも、鉄道にはならない。AIは、馬車を限りなく分析し、人間では不可能なすばらしい馬車をうみだしても、鉄道はうみだせない。つまり、「馬車」という発想を打ち破って「鉄道(網)」を創造(想像)できるのはAIではないということ。
(最近ある本で、スティーブンソンの蒸気機関車の発明がなんで革命的かというと《もちろん、その前にワットの蒸気機関の発明があるわけですが》、それまで乗り物というのは馬車が「ひく」というものであったわけですが、機関車は「車輪」そのものが回転することによって進むものであり、馬という外の力によって、すなわち他力によって「ひかれ」なくてよいことになったと書いてあったのに出あい、スティーブンソンの発想のすばらしさを思いました。
AIなら「馬」や「ひき方」「馬の力をいかに効率よく人や物を乗せた箱《車両》に伝えるか」ということを多大な資料を集め詳細に研究し、理想的な馬車を生みだすのでしょう)
ドイツなどではAI技術を人間がよりよくつき合う方法、つまりAIが人間の生活を幸せになる方向で企業と政府が一体となって進められているが、日本では人間的な理念、方針がなく、たとえば東京オリンピックを「ビッグ・ビジネス」のチャンスととらえ、多様なAI機器の研究、開発は推進し、成功企業は多大な儲け・利益をえるけれど、一方ではAI、ロボットの進化・発展がいずれ自分の職場にも入って大きな顔するのでは。働く場が狭められるのでは。ロボットがやれれば人は要らない。首切り、賃下げが横行する。のではないかと将来の心配、不安が起きている。
・便所(トイレ)
便所はそとの掘ったて小屋で、家のすぐ外にあった。近づくとプンプン臭った。
構造はきわめて簡単。
便所小屋に向い、木の段を二、三あがり、扉を引っぱる。中にはいる。板の床が現れる。尻をおろす部分だけ長四角の穴がある。糞尿は床下の壺にたまるしかけである。
糞尿はあふれる前になると、私たちは「こえたご」と言っていたが、天秤棒の両端に綱でつるされた木製の丸い樽(幼児ならはいる大きさ)に大きい柄杓ですくって入れられ、担いで田畑まで運ばれた。もちろん、肥(こえ)としてまかれた。
聞いた話では(私の集落にはないが)、耕作面積の大きい家は家人のだけでは足らず、おカネを払ってまで買ったとのこと。ほんとうだろか。
(男の小便場所は便所小屋に付属していた。ラッパ型の木製(ただし丸くはない)でハネ返りを防ぐために中に杉の葉っぱのついた枝が適当に入れられていた小便器で行う。「スギ花粉」という言葉さえない時代だった)
ところで、あの尻をおろす「穴」。当時は電気もいまのように明るくはなかったので、夜中の用便は困った。おとなはよかっただろうが、子どもは困った。うっかり(足を踏みはずし)落ちそうになる。
夜の闇やオバケよりそっちが怖かった。
〈続く〉