今日は①の続き、下です。
ウ
・植松被告の主張は優生思想ではない
(「優生思想」ということで最首悟さん《自身に障害をもった娘さんをもつ大学教授》は言う。
「そもそも大学という存在は、優秀なエリートを選抜、育成…それ以前に近代社会そのものがそう…
まがりなりにも進歩思想を基盤としているがゆえに、根深い思想」
…
・障害と健常はひとつながり
植松被告のような人だって、じつは厳しい社会状況に追い詰められ、人間性のどこかを深く病み、
社会から落伍しかけている状況にあるのかもしれません。
…
エ
・「素朴な疑問」と向き合う
考え始めると、障害者や老人の存在が、逆に社会を助けている面がたくさんある…
「働く」ということも、ある意味、「福祉」という発想と同じ…
もし世の中が、能力のある人ばかりで埋め尽くされたとしたら、そもそも能力の意味がなくなって…
目の前にいる病者や弱者を、どうにかして助けたいと思うのは、
社会的動物である人間に備わった、ある種の「自然」といえるのかもしれません。
現代の価値観だけで人間を判断してしまうことが、いかに危険で浅はかなこと…
むしろ、人間という種にとって、最もどうでもいい存在なのは、
さしたる独創性もなく、与えられた仕事を、ただ無難にこなすことくらいしか能のない、
私を含めた、圧倒的多数の平凡な健常者ということになってしまうでしょう。…
(最首悟さんの言葉)
「そもそも人間は、「自分がどうして生まれてきたのか」ということさえわからないわけでしょう。
その解決できない「わからなさ」の中に、大切なことがあるんです。
そして、わからないからこそ、あらゆることに「ためらう」わけで、
「わからなさ」というのは、もう歯がゆいほど優柔不断になるんですね。
でも、わからないからこそ、いろんな希望も期待もある。…早急にわかる必要はないと。
「わからない」ということをもっと大切にしてほしいのだと」
…
オ
・「自分と他者」のいる世界へ
(最首悟さんの言葉)
「星子(最首さんの障害のある子どもさん)はね、別に私は世話してほしいなんて頼んでないよ、
という感じなんです。
それは、生きることにぜんぜん執着しない者の強さというのかな。…泰然自若として生きてるのね。
そうなると逆にね、私のほうが星子を世話するのを、生きるよすがにしているというかな、
自分はなんと星子に依存した存在なんだろうか、というのが、逆照射されてしまうんですよ」
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ウ
・植松被告の主張は優生思想ではない
「優生思想」というと、「優生保護法」(ネットによると、「優生保護法とは、1948年
(昭和23年)から1996年(平成8年)まで存在した日本の法律… 優生思想・優生政策上の見地から
不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)
人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたもの」)を思い出すけれど、
ここでは、「優」=「普通(並み)」ととらえられており、
一般には「優」=「並みを超えて優れている」ということだ。
だから、最首悟さんは「植松被告の主張は優生思想ではない」といわれる。
「そもそも大学という存在は、優秀なエリートを選抜、育成…
それ以前に近代社会そのものがそう…」
「まがりなりにも進歩思想を基盤としているがゆえに、根深い思想」
私たちは、「近代」「進歩」「前進」「発展」…といわれるものが優れている、
すばらしいと思い込んでいる。
(いや、信じ込まされているというべき)
この言葉は、私たちに突きつけられたとてもたいせつな考えだと思った。
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エ
・「素朴な疑問」と向き合う
オ
・「自分と他者」のいる世界へ
最後のここも、人間、社会、生きるということを、強く考えさせられた。
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「「働く」ということも、ある意味、「福祉」という発想と同じ」
著者は、「働く」ことは広い意味で「福祉」につながっていることをわかりやすく
述べていた。
働くこと、労働の本質は、「お金を儲け」「裕福になる」ことではない。
自分と家族、他人、広く社会のみんなが安心して食い、衣服を着け、住むために、
幸せに暮らしていくために働く。汗を流す。
普通の、狭い意味での「福祉」を包み込んでいる。
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「さしたる独創性もなく、与えられた仕事を、ただ無難にこなすことくらいしか
能のない、私を含めた、圧倒的多数の平凡な健常者」
これは、先述の新田勲さんのような「主体的に生きた」障害者の非凡さに比べ、
「圧倒的多数の平凡な健常者」にすぎない私(著者)の述懐だけど、
その前の文章「人間という種にとって、最もどうでもいい存在なのは」、
さらにその前の文章「現代の価値観だけで人間を判断してしまうことが、
いかに危険で浅はかなこと」から続けて読むと、しみじみ胸に沁み込んだ。
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「そもそも人間は、「自分がどうして生まれてきたのか」ということさえ
わからないわけでしょう。
その解決できない「わからなさ」の中に、大切なことがあるんです」
「わからないことが(何かが)わからない」という言葉がある。
それはそれでいい、幸せなこと。
けれど、「わからないこと」が何であるかが「わかった」ら、
その何かを知りたい、わかりたいと思う。
でも、いくら、どんなに思い考え悩んでも「わからない」ことがある。
「その解決できない「わからなさ」の中に、大切なことがある」のだから
「「わからない」ということをもっと大切にしてほしい」と最首悟さんはいう。
(ほんとうに大切なことだ。気をつけよう。
「「わからない」ということをもっと大切にしてほしい」ということは、本当にわかる、納得するまで
その「わからない」ことを忘れないことだろうか。
私は自分の言動をふり返ると、本当にわかっているのだろうか?と疑うことがある。
「わからない」くせにわかったふうな顔をしていることがある)