カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.8.8 『なぜ人と人は支え合うのか-障害から考える』 ①の下 

今日は①の続き、下です。

 

 

植松被告の主張は優生思想ではない

(「優生思想」ということで最首悟さん《自身に障害をもった娘さんをもつ大学教授》は言う。

そもそも大学という存在は、優秀なエリートを選抜、育成…それ以前に近代社会そのものがそう…

まがりなりにも進歩思想を基盤としているがゆえに、根深い思想

障害と健常はひとつながり

植松被告のような人だって、じつは厳しい社会状況に追い詰められ、人間性のどこかを深く病み、

社会から落伍しかけている状況にあるのかもしれません。

エ 

「素朴な疑問」と向き合う

考え始めると障害者や老人の存在が、逆に社会を助けている面がたくさんある

「働く」ということも、ある意味、「福祉」という発想と同じ

もし世の中が、能力のある人ばかりで埋め尽くされたとしたら、そもそも能力の意味がなくなって…

目の前にいる病者や弱者を、どうにかして助けたいと思うのは、

社会的動物である人間に備わった、ある種の「自然」といえるのかもしれません。

現代の価値観だけで人間を判断してしまうことが、いかに危険で浅はかなこと…

むしろ、人間という種にとって最もどうでもいい存在なのは、

さしたる独創性もなく、与えられた仕事を、ただ無難にこなすことくらいしか能のない、

私を含めた、圧倒的多数の平凡な健常者ということになってしまうでしょう。…

最首悟さんの言葉)

そもそも人間は、「自分がどうして生まれてきたのか」ということさえわからないわけでしょう。

その解決できない「わからなさ」の中に、大切なことがあるんです。

そして、わからないからこそ、あらゆることに「ためらう」わけで、

わからなさ」というのは、もう歯がゆいほど優柔不断になるんですね。

でも、わからないからこそ、いろんな希望も期待もある。…早急にわかる必要はないと。

わからない」ということをもっと大切にしてほしいのだと

オ 

自分と他者」のいる世界へ

最首悟さんの言葉)

「星子(最首さんの障害のある子どもさん)はね、別に私は世話してほしいなんて頼んでないよ、

という感じなんです。

それは、生きることにぜんぜん執着しない者の強さというのかな。…泰然自若として生きてるのね。

そうなると逆にね、私のほうが星子を世話するのを、生きるよすがにしているというかな、

自分はなんと星子に依存した存在なんだろうか、というのが、逆照射されてしまうんですよ

 

       


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 植松被告の主張は優生思想ではない

 

「優生思想」というと、「優生保護法(ネットによると、優生保護法とは、1948年

(昭和23年)から1996年(平成8年)まで存在した日本の法律… 優生思想・優生政策上の見地から

不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)

人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたもの」)を思い出すけれど、

ここでは、「優」=「普通(並み)」ととらえられており、

一般には「優」=「並みを超えて優れている」ということだ。

だから、最首悟さんは「植松被告の主張は優生思想ではない」といわれる。

 

「そもそも大学という存在は、優秀なエリートを選抜、育成…

それ以前に近代社会そのものがそう…」

「まがりなりにも進歩思想を基盤としているがゆえに、根深い思想」

私たちは、「近代」「進歩」「前進」「発展」…といわれるものが優れている、

すばらしいと思い込んでいる。

(いや、信じ込まされているというべき)

この言葉は、私たちに突きつけられたとてもたいせつな考えだと思った。

 

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 「素朴な疑問」と向き合う

 「自分と他者」のいる世界へ

 

最後のここも、人間、社会、生きるということを、強く考えさせられた。

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「働く」ということも、ある意味、「福祉」という発想と同じ

 

著者は、「働く」ことは広い意味で「福祉」につながっていることをわかりやすく

述べていた。

働くこと、労働の本質は、「お金を儲け」「裕福になる」ことではない。

自分と家族、他人、広く社会のみんなが安心して食い、衣服を着け、住むために、

幸せに暮らしていくために働く。汗を流す。

 

普通の、狭い意味での「福祉」を包み込んでいる。

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さしたる独創性もなく、与えられた仕事を、ただ無難にこなすことくらいしか

能のない、私を含めた、圧倒的多数の平凡な健常者

 

これは、先述の新田勲さんのような「主体的に生きた」障害者の非凡さに比べ、

圧倒的多数の平凡な健常者」にすぎない私(著者)の述懐だけど、

その前の文章人間という種にとって、最もどうでもいい存在なのは」、

さらにその前の文章現代の価値観だけで人間を判断してしまうことが、

いかに危険で浅はかなことから続けて読むと、しみじみ胸に沁み込んだ。

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そもそも人間は、「自分がどうして生まれてきたのか」ということさえ

わからないわけでしょう。

その解決できない「わからなさ」の中に、大切なことがあるんです

 

「わからないことが(何かが)わからない」という言葉がある。

それはそれでいい、幸せなこと。

けれど、「わからないこと」が何であるかが「わかった」ら、

その何かを知りたい、わかりたいと思う。

でも、いくら、どんなに思い考え悩んでも「わからない」ことがある。

 

その解決できない「わからなさ」の中に、大切なことがある」のだから

わからない」ということをもっと大切にしてほしい」と最首悟さんはいう。

(ほんとうに大切なことだ。気をつけよう。

わからない」ということをもっと大切にしてほしい」ということは、本当にわかる、納得するまで

そのわからないことを忘れないことだろうか。

私は自分の言動をふり返ると、本当にわかっているのだろうか?と疑うことがある。

わからないくせにわかったふうな顔をしていることがある

 

 

 

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                             ちりとてちん

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