カメキチの目
毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんをご存知だろうか。
『ウルトラマン』最初のシリーズで、「科学特捜隊員」で活躍されていました。観た方なら(一度きいたら忘れないような名前を知らなくても)「あーぁ」となります。
終(敗)戦記念日の少し前、テレビの『報道特集』に出演されていた。
もう82歳である。
1945年にあの戦争が終わり、2018年のことしは73年目。
つまり82歳の毒蝮三太夫さんは敗戦当時、9歳の少年だったわけです。
東京生まれの毒蝮さんは、「東京大空襲」の惨劇をなんども生き延びた。
焼け焦げることなく、生き延びた。
しかし、死んでいたかもしれない。
生きているのは
ただただ、運がよかっただけ…
生まれたかぎりは、生きつづけたい。自然に死にたい。
(植物であれ動物であれ、生きものはみんなそうつくられている)
「戦争は絶対いけない」ということは、
だれもがわかっている。
だが、「わかっていてもやってしまう(くり返す)」。
人間の「性(サガ)」「業(ゴウ)」なのだろうかと思ってしまいそうになる。
「死ぬまで語り続けなければならない」
そうすることが、あの時代、ここで生まれ、ここまで生きてきた自分という人間の「つとめ」であり、
「生きがい」とも82歳の毒蝮三太夫さんは言っておられた。
あの戦争の体験を覚えている方は、「記憶に残る」「知る」ということが(個人差はいろいろだろうけれど)4歳くらいから可能なら、1941年生まれ、つまり現在77歳の人より歳上の方だけ。
■『報道特集』は、あの戦争に関わる膨大な公文書類を、(当時の日本政府が「これ以上は戦争を続けられない」つまり連合軍に負けを認め、敗戦を受けいれることを決めた15日の少し前)すべて焼却することを決め、「燃やせ!」と指示・命令したことに深く切りこんでいた。
貴重な記録(たとえそれが残したくないものでも)を消そう、燃やそうとすることは、(番組が強い言葉で述べていたように)歴史を変えようとすることに等しい。「隠ぺい」はいずれ暴かれる可能性があるが、燃やされ灰となったものは元に戻すことはできない(今はどうだか?)。
そうそうこんな場面があり、思わず失笑した。
当時、上に言われて燃やしていた方が苦笑いしながら、こういう意味のことを言っておられた。
「マッカーサーが来日。公文書を出せと言ったけれど、われわれはすでに焼いていた。ないものは出せない。でもどうしても出さなければならない。それには「偽造」するしかない。(「モリカケ」のひな形は)このときからあったよ」