カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.8.10 人間も生きものの一つにすぎない(後)

続き。

 

【引用】

「持つ」社会から「借りる」社会へ

これまでの発展型社会では、欲望は大きくなっていくのが当然とされてきたので、

欲望を抑えるという発想そのものがありませんでした

クローンと欲望の関係を考える

もし3歳で亡くなった子どものクローンをつくるとすると、

その子が生きた3年間はクローンの子どもにとって代わられ消えてしまうことになりますし、

新しいほうの子どもは、一生のあいだ誰かの代わりとして生きることになる。

これは、この世にたった一人の私というあり方を否定するわけで、

生命を基本にした考えからは大きくはずれます。

代替品というのは、やはり機械の考え方でしょう。

 

(注:「」、〈〉、()、太字太字はこちらでしました)

 

ーーーーーーーーーー

「持つ」社会から「借りる」社会へ

 

「持つ」と「借りる」。

(たいせつなのは必要なときだけ使用できること。使い方は創意工夫すればいい。

別に持たなくても《所有しなくても》いいわけだ。

「レンタカー」はずっと前からあったけれど、この頃はマイカー代わりに日常的に借り

必要なときだけ使うことができるらしい。

部屋の借り方を共同でする《「シェア」》のもあるという

 

「持つ」こと「借りる」ことを、その上の「生きる」「生活する」という文脈、

流れのなかで考えてみるといろいろな気づきがありそうに思えた。

所有しなくてもすみそうな物事は考えてみればいろいろ見つかるのかもしれない。

 

モノ持ちだからといって、時間や空間を他人より多く持てるわけではないのだから、自分が持っている

モノを使わないときは他人に貸してあげればいいと思う。

《お金持ちには、「どうして自分は金持ちなのだろう?」と考えてほしい。ついでに、使い道も》)

 

             f:id:kame710:20210718101041j:plain

-----

これまでの発展型社会では、欲望は大きくなっていくのが当然とされてきたので

欲望を抑えるという発想そのものがありませんでした

 

ここでいわれている「欲望」とはモノへの欲、「物質的欲望」のこと。

 

(私はあの戦争が終わって数年して生まれた。ほんとうにモノに乏しい社会、時代だった。

生まれたところは田舎だったので、1950年代から始まったという高度経済成長の波が押しよせてくるのは

都市部よりずっと遅かった《といっても「遅い」かどうか、田舎のこどもにわかるはずなかった》。

小学3年生ころはまだ「羞恥心」のようなものはなく、お金持ちの家にテレビを「みせてください」と

頼み、「いいよ」といわれる前に茶の間にあがりんだ。そんな図々しさを持ちあわせていた

が、さすがに高学年になると恥ずかしくなったが、このころにはわが家にも「高度経済成長」は波及し

自宅でテレビをみられるようになっていた。

 

テレビの登場でまったく新たな娯楽を楽しめるようになり、冷蔵庫の登場で日常的に「冷やす」

「氷をつくる」ことが可能となり、子どもでも、それまでの暮らしと比べ段違いに豊かになったと

実感した。

その実感があるので、後の日本国民の「一億総中流」意識が容易に理解できた)

 

「高度経済成長」を成しとげた原動力は、(あえていえば)「物質的欲望」思う

けれども、それは人生への「希望」と共通する「欲望」あって、

単なる「物質的欲望」というようなものではなく、戦後のモノが乏しい状態、

貧しさからちょっとでも抜けだそうという日本人の気もち、努力が結果として

高度な経済成長となって現れた気がする。

(現代でこそ日本でも「格差」がよく問題視されるけれど、日産・ゴーン氏のような《ボッタクリとは

呼ばなくても実質そう呼んでよいと私は思う》信じられないほどの莫大な収入を得る企業のトップ、

資産家は外国では日本より断トツおおいとのこと。

日本には「お互いさま」「おもてなし」「もったいない」という昔からの言葉があるように、

他人やモノをだいじにしてきた文化、伝統があるからだろうか)

ーーーーー 

クローンと欲望の関係を考える

 

述べられている通りだと思った。

 

「人間一般」ではなく、「私という個人」が「いま・ここ」を生きているという

1回かぎりの人生いがいに人生はない。

(生きるには食べなければならない。「いただきます」。

近い将来の「食糧危機」が叫ばれている。人類はまた増えた人口に対応するために食べるものを

増やさなければならない。コピー、クローンなど最新の科学技術を駆使し、みんながおいしく食べられる

生きものを「増産」しなければならない。

しかたないこととはいえ、「人間はやっぱり勝手な生きもの」と、心の隅っこで思っておきたい。

他の生きものたちの命のうえに自分の命があることを)

 

 

 

                 f:id:kame710:20171029114701j:plain 

                           ちりとてちん

 

 

<