カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.8.14 加川 良

                                                  カメキチの目

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あしたは73回目の「終戦(いや正確には敗戦)記念日」です。

 

■この国のエラ方は、「侵略」を「進出」、「敗退」を「転進」と言いまわすなどさきの戦争時だけでなく、平常時の現代でも「改ざん」を「書きかえ」など(あげればキリがないほど)実態・本質を言葉で覆いかくしてきた(すばらしい日本語を冒とくしてきた)。たとえば「忖度」

 → 本来ならば、相手の心などを推しはかり、そのうえで考慮することなのに、「モリカケ」の登場を機に、そんな相手への気遣いとは真反対の「自分の利益・自己保身」のために相手を利用する「おべんちゃら」の同義語に変わってしまった。

(このごろ《気づくのが遅いですが》私は、安倍やトランプ…より、彼らにときには「叱咤」に甘んじながらも《ということは忠実な「番犬」ぶりを演じ》、ときには気づかれないよう、じょうずに彼らを「コントロール」しているかのような取りまき連中、高級官僚のほうが「いちまいウワテ」を行っているように思えてきました。それにしてもいまの自民党、なんと腐り切っていることだろう! 安倍や麻生のようなウソつきトップを引き下ろせない時代がかっての自民党にあっただろうか。こんどの自民党総裁選で安倍は楽勝しそう。「勝てば官軍」「負ければ冷や飯」…情けなくてしかたない…トホホ)

 

■前に加川良の歌『教訓1』をのせました。

この人のほかの歌もそうですが、21の歳に、初めて聴いていっぺんに好きになりました。

(老体のいまになるまで、折りにふれて思いだされ、頭の中をクルクル回るのは、「うさぎ追いし…♪」の唱歌みたいです)

 

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いくら個人的には幸せに生きようとしても、ズカズカと侵入してくる社会や国家の前ではまったく無力な私たち。

加川良の歌が、クルクル頭のなかを回るほど好きになるのかと考えてみたら、庶民、一般市民、小市民、民衆、凡人とよばれる私たちへの応援歌ではないかと思うようになりました。

理屈ぬきに戦争に反対するから反戦歌ともいえますが、いちばん身近なだいじなもの(家族や生活など)をだいじにすることがだいじなのだと訴えていると強く感じています。

 

■『できることなら』と『戦争をしましょう』も『教訓1』とともによく頭をかけめぐる歌です。

『できることなら』は『教訓1』の続き、『教訓2』です。1は「青くなって逃げなさい」、2は「女々しく生きましょうよね」という歌詞が出てきます。ともに、社会や国という大きなところに「こうせよ!」と命令されても、自分自身と家族をいちばんだいじにしようと言っています)

 

二つをくっつけると「できることなら戦争しましょう」となるけれど、これはまったくの偶然で、意図されたものではありません。

 

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              ちりとてちん

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