カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.3.6 また「顔施」)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 

 ついこのあいだまで、身なりや外見はまったく自分本位だった。

 あんまり注意されるもんだから、はじめは「うるさいなぁー」とブツブツ対応していたが、いまは違う(それでもヘンなのは「障害者」だから…とあきらめている。が、「障害者」を言いわけに手を抜いている、と妻にはうつるらしい。もちろんそれもあるわな。がそれだけじゃない)

 

 住んでいるところ(集合住宅)は件数が多く、いろいろな人・家族がいる。

 

  同世代くらいのご婦人がひとりで買い物に行かれる姿をよく見かける。障害があるのか、顔の表情が硬たくほとんど変化がない。歩幅が小さくアヒルのような歩き方だ。服装もきまっており(お気に入りなのか)よく薄っぺらの白いスカートをはいておられる。夏物らしく、この寒さの中では目立っている。

 あるとき、室内履きのままだった。心配にたまりかねた妻はなんとかならないかと防災センターに行った。

 

 街の電気屋さんが力を合わせ(チェーン店みたいなものつくり)、地域のお年寄りとかに役に立とうと奮闘している姿をテレビが伝えていた。もちろん営業のこともちゃんと考えている。

「売ればいい」(あとは野となれ山となれ)のではなく、故障した場合(電気製品不具合が起きやすい。「当たり」が悪かったということもある)の迅速・親切な対応などサービスが行き届いており、喜ばれているらしい。

 別の日のテレビは、過疎の村を取材していた。その地域の少しでも余力のある方、配達・運送の仕事などでそこを訪れることがある人たちが、ひとり暮らしのお年寄り・障害者が困っていることをちょっとした手間賃で手伝う、助けてあげるのだ。

 サポートする側は完全なボランティアでない。安くても利用料金(手間賃)を取るそうだ。サポートを受ける側との間におカネが入ることで、両者とも心の負担が軽くなるという工夫をしている。そこがすばらしいと思った。

 カネのうまい使い方が人間関係・社会のあり方をスムーズにしている。(大げさな言い方かもしれないが)カネの新たな可能性のひとつだと思った(話題のビットコインは世界で通用するらしい。「貨幣」(カネ)というものの本質をよくあらわしておもしろいけれど、しょせん、「儲けがいちばん」の企業、事業の対象として利用されるにすぎないだろう)

 

 手伝われる・助けられる側になった私。

 イマジン(想像してください)♪ 

 いま歯医者さんにかかっているが、そこの歯科衛生士さん。なんとも親切でやさしく、非常に感激している。私が治療台まで進むため慎重に杖を運び、そこらの壁に手をつき移動するのをじっと見守り、診療を終え支払いをするときは、(受け付けカウンターまで行かなくていいように)ソファーのこっちに来てしゃがみ、私がサイフから紙幣・硬貨をつかみ出すのもゆっくり待つ。まさに聖母マリアさまのような方だ。

 歯科医院を出るときはドアを開けてくださる。私は心をこめていい顔し「ありがとうございました」と言う。そして、仕事にもどる彼女のうしろ姿に(心で)手を合わす。

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 感謝の気持ちを表す行いに、仏教では「顔施」というのがある。相手の方にいい顔をするのだ。

 歯科通院の前には、鏡の前でニカッとしてみる。

 

                               ちりとてちん

 

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「どう?わたし。

 『かわいい』?、いえ『おもしろい』『ゆかい』 ?」

 

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