カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.9.7 つれづれの記⑨

                                                  カメキチの目

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 【続き】

 

[暮らしと人びと②]

 

・水

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いくらでも裏山から引けた。

ビニールパイプなど便利な材料はまだなく、竹が使われていた。また、どこの家にもそれほど深くない井戸もあった。

水洗蛇口などというハイカラなものはなかったので、いったん桶に水をためて使ったのかな。

チョロチョロ…。引いた水は絶えることなく流れている。

井戸水を釣瓶(のちに手押しポンプ)でバケツに汲み、なんども風呂の釜まで往復したことを、そのときは少年になっていたのでよく覚えている。

 

こんな自然がうみだす水(ということは誰のものでもある。欲しいときは誰も使える)を、ある企業が買い占める。水の湧きだす土地を買い占める。

その水を「どこそこの天然水」としてペットボトルに詰めこんで、誰もが手軽に安い値段で買えるような商いをするまでは許せても(これとて許せられないか)

たとえば(海外の大ガネ持ち。国内でも《自分はカネがなくても必要な資金はお年寄りたちに甘い言葉をかけ投資をつのって集めるペテン師など》)が、カネ儲けのために買収する。

いつかみたサスペンスドラマでも、海外の富裕層が投資目的で地元の山林所有者たちをダマすという話がありました。

なんでもカネ、カネ、カネ…。悲しい、情けない世の中、社会になったものです

(…と、感ずるこっちがホントのところ間違っている、オカシイのかも…)。

いまはペットボトルだけですんでいますが、将来は、台所や風呂の水も買わなくてはいけないのでしょうか。ペットとはちがって生活に不可欠な水は、いまは公共の水道事業で成りたっていますが…

国鉄はずっと前にJRになったし、郵便制度もJPになったし、そのうち「JW」というのができるかもしれないです。

でも考えてみれば、民営化も主人公の民衆がほんとうに望ましい方向に変わるのならすばらしいですね。いっそうのこと、「公」。国家や行政というのもなくなればいいかも…

そうすりゃあ、ミサイルが飛んでくるかも…と心配し、ストレスためなくてもいい。

  

・父親

前に書いたように、山のふもとに張りついた集落で、耕作ができる平らな土地はとても少なく、私の家は農業では生活は成りたたなかった。

私が幼少時代、父は林業で生計をたてていた。

林業」といっても、幼いころは炭焼き、少年のころは山林所有者の請負で、山からの木材の伐採、製材所までの運搬をやっていた。伐採された大きな木は馬にひかれた。馬のやさしく穏やかな目を覚えている。もちろん撫でた。

馬を御し、運ぶ仕事は父が雇った人が行い、一日の仕事の終わりには、その方と縁側に腰をかけ、酒清酒ではなく、安い合成酒《いまもあるのでしょうか》。ちなみにタバコは「ゴールデンバット」)を酌み交わしていた。

学(がく)はなかった。

高等小学校しか出ていない。二男の父は、(後には自分もそうなるのですが)兵隊にとられた長男《私には伯父。本家のあるじ》にかわって一家の大黒柱にならなければならず、勉強どころではなかったようで、「ワシは頭の出来が悪かったので勉強より働くほうがよかった」と言っていた。

戦時中は△△炭田に出かせぎに行って一家を支え、少年のころはガキ大将だったが、よく小さい弟妹をねんねこでおぶっていたと祖母から聞いた。

テレビなどで、「どんなおとなになりたいか?」と聞かれた子ども(幼児だけではありません)が、「おとうさん」(女児なら「おかあさん」)と答えるところをみるが、私には父が目標に浮かんだことは残念ながらない。

もっとも親になったこっちが、わが娘に理想の恋人、結婚相手のように思われたことはさらさらない。

が亡くなったとき。狭い実家の葬式で、思った以上の参列者があり、(お世辞にしろ)みなさんが「いい人だった…」といわれるのを聞いて、悲しいけれど嬉しかった。

 

山仕事をしていたが、いつまでもその仕事を続けていくのはむずかしいと、それなりに時代の流れ、変化を感じていたのか、私が中学2、3年のころには車の運転免許証をとっていた。

その頃はいまと違って自動車学校というのも少なかったようだ。父は集落の何人かと一カ月いじょうの泊まり込み(合宿みたいなものか)で家を空けた。

その父。まだ若く、子どもがいなかったら、叔父たちのように都会に出るという道もあったが、もう遅かったのだろう。

(日本社会が、いわゆる「高度経済成長」に向けて出発していたころはもうちょっと前だったが、その変化、影響の凄まじさは私たちの地域、いなかとて例外ではなかった。

父の山仕事からの撤退も日本社会の変貌《「変化」より「変貌」の方がピッタリくる》の一環だったといまは思う)

 

父の仕事、働き方を思うと、たしかに人びとは時代と社会の波に翻弄されているのだなと感じる。

なにも親のことをあげなくても自分自身をふり返ればそうです。

人間は、出来事が過去となり、ふり返って、はじめてその出来事の意味を知る。理解する。位置づけができる。

社会でいえば戦争しかり、高度経済成長しかり…

「個人」の人生の背後に横たわる「社会」。

 

〈続く〉

 

 

                  ちりとてちん

 

 

  

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