カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.6.1 薫風を受けて③)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 

 記憶というのはエピソードとして脳にしまわれるのだろうか。それは強さに比例して残っていくのか?

 私のはじめての記憶は3,4歳なのだろうか。

■その1   伯父の家の便所はもちろん外にあった。ひどい掘っ立て小屋である。暗いので下はほとんど見えない。臭いは鼻をつまめばがまんできるが、足を踏みはずせばたいへんだ。                     

乙女だったいとこ(従姉)が用をたしていたとき、私はカギ(カギといってもスライドさせるだけの簡単なしくみ)をかけ、閉じこめた(ふつう施錠というのは内からするものであるが、私の「思い出」では外にあったことになっている。彼女はほんの冗談のつもりで、「かけてみぃ!」と言ったのだろう。それでかけたにちがいない。私はイジワルな子どもではなかったが、まだまだ幼い。「冗談」という高等なコミュニケーションがとても通じるはずはない。  

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■その2  ほんとうに恐ろしいことがあった。住んでいたところは山また山の奥地。自動車などというものはほとんど見ない。                 

それなのに、すぐ近くで、子どもが車に轢かれ、死んだ。あたりにはまっ赤な血の跡が…。死体にはムシロがかけられていた。

■その3  これも恐ろしかった。伯父の家を出て、父はすぐ向かい(話ができる近さ)の山肌に、はりつくように家をたてた。                              近くで山火事が起き、火がわが家に迫った。「イエがモエルー…」と泣き叫ぶわが姿だけはよく覚えている(当時からなさけなかった)。

■その4  これも恐ろしい話。そして、また私のなさけなさを表している。       同じ集落で結婚式があった。花嫁さんの頭、白い角隠し(ツノカクシ)がこわがった。

■その5  私はなんかの私小説に出てきそうなくらい典型的、いわゆる“おばあちゃんっ子”であった(長男である伯父の子どもがみな女であったからであろう)。 なかみまでは覚えていないが、寝るときなどに必ず“むかし話”を聞かせてくれた。しかも、「桃太郎」のようなだれもが知っている『日本昔話』ではないのだ。たしか、地域の民話に近いものだった気がするが、そういう読み物があったとしても祖母は字が読めなかった。どこから話のネタを仕入れたのだろ?                    孫は大勢いたのに、自分ばかりかわいがられて弟やイトコたちに悪かった(と、のちに思った)。

  こういうたわいない、つまらないものがいちばんに思い出される。

                               ちりとてちん

 

                       

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