カメキチの目
まずは、「正しい」ことを知る。
しかし、
その「正しい」情報は、信じていいのかどうか?
政治。そこではホントもウソもいっしょくた。
お互いが仮面をかぶり、キツネとタヌキの化かし合いみたいなことをやっている。
「Iの党」なるものの内輪もめなど、目は国民じゃなく自分の利益にしか向いていない。得するのは政権与党だけでしょう!
ああ、つまらん、つまらん。どうでもいいバカを書いた。話がそれてゴメンなさい。
(コトは信頼のレベルまでに下げられる)
「冤罪」は起こるべくして起こっている。
「ホントのことを白状せえー!!」と怒声をあびさせられ、眠らせてももらえず、「ウソでもええからホンマを言え」(えっ?虚偽と事実は反するのでは)、「言ったら罰は軽くなる」と言われれば、私もコロッと落ちるだろう。
知識や事実が誤ったもの、まちがったもの、ウソだとしたら…
たいへんなことになる。
名前を聞いただけで「はあ、あのサランラップの旭化成さんですか」と信頼できた大企業がなんとウソをついていた。
コトは住まい。「すみませんでした」と頭を下げてもらっても、不安・心配は消えるわけではない。
刑務所で20年も無罪を訴え続けていた方の再審が決定し、無期懲役という刑の執行が停止され、釈放された。
「まちがってました。すみません」ですむことでは断じてない。検察(国)は、失われた人生をどう償うのか!
おカネで過ぎ去った時間は買えない…
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この前、「自閉症」についてのテレビ・ドキュメンタリーをみて、正しいことを知ることのたいせつさを強く感じた。
自閉症については何冊か本も読んだ。知識もいちおう持っていた。
が、それは単に理屈・理論でしかなかったことを、しみじみ感じた。
あらためてテレビの情報伝達力のすごさに気づかされた(映像と音楽が加わり、感動がともなって言葉・理論がより確かに具体的に感じられた)。
身近で、とてもわかりやすかった。
ずっと前、ゴミか何かが入れられているようなスーパーの袋を手に、キョロきょろしながら忍者のようなしぐさで横断歩道を渡る、白いワイシャツ姿の、一見したところサラリーマン風の青年をよく見かけ、ブログにも書いたことがある。
そのドキュメンタリー番組では、自閉症の人は視線を合わせることが非常に苦手だと言っていた。その青年もそうだったのか。
脳のある分野(コミュニケーションをつかさどる)だけに欠損部分があり、人により程度は異なるが、共通して対人関係を結ぶのがむずかしいという。
生理的なそれが、人によってさまざまな形で現れる。ひと口に自閉症と言ってもいろいろあるのだ。
テレビの青年は、ピョンピョン跳びあがるのが好きなようだった。
番組は、日本の自閉症のその青年本人が少年だったころ、「病気」(自閉症)について書いた本が、長年、自分の息子が同じ病気でどう接してよいか悩み続けていた世界的に著名なヨーロッパのある作家の目にとまり、この本が世界的に読まれることになったということを二人の交流などを描いて感動的にまとめていた。
私は、正しいこと、真実・事実を知ることの重要性とともに、「人の出あい」というものの不思議を強く感じた。
テレビドキュメンタリーになるほど稀なできごとでなくとも、凡人の私たちにも、日常のはしばしにちょっとした人(じゃなくても)との出あい、ふれあいがある。
それをだいじにしていかなくては…。
98 角(つの)香ばこ
和紙で折ったら本格的でいいです。
江戸時代。これにお香を入れて保管したらしいです。お菓子など入れてもいいそうです。
こんなところから取りだせば、なんでもおいしそう。