カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.5.26 ポピュリズム

去年の7月、『人間臨終考』という本の読書感想を書きました。著者は、ドキュメンタリー映像作家の森達也さんです。

森さんの、こんどは『不寛容な時代のポピュリズム』というのを読みました。

 

政治の「ポピュリズム」という言葉は、ようするに大衆に支持されればトランプのような人間でもアメリカという大国の大統領になれるということかなと思います。「多数決」も「民主主義」のうち。

(「多数決」は民主主義の基本の一つでしょう。だから国により違いはあってもさまざまな選挙制度になっているようです)

トランプの選挙運動はのちに、選挙に勝つために不正な手段を使ったことが暴露されましたが、「正」とか「不正」を超越したところに政治というものはあるらしく(海の向こうのことではなく、日本も同じ)「勝った方が正義」(歴史は古今東西そう)です。

「ポピュラー」は音楽、服飾などだけで結構(政治を「流行」や「不流行」にしたくはない)。

 

森さんは、自分の頭で考え判断(選択)することのたいせつさを、ともかく強調されています。

自分は「こうしたいのだが…」「こう在りたいのだけど…」と思っていても、「みんながああ言っている」「みんながそう思っている」「みんなこうしている」というだけでみんな(多数)になびく、引きずりこまれる。

(もちろん、誰でも自分では自分で判断していると信じてはいるのでしょう。その限りでは「引きずりこまれている」わけではないのですが…。本人にすれば「従う」のであって、「屈した」のではないわけですが…)

 

例によって、ごく一部だけ紹介します。

 

 改ざんや大ウソつきが明らかになり、

「スポーツ精神」だけでなく、「教育」に真っ向から対立するものとして大問題となっている指導者のウソ。

「楽しさ」が信条のスポーツで、楽しさをぶち壊すウソ。

スポーツのような華々しさはなく、楽しくもないが、アメフトのルールはわからなくても政治のルールはわからないではすまない。

いまの政治のウソつきと日大アメフトのウソの構造がなんと似ていることだろう。

「勝てば官軍」「勝つためならウソ(改ざん)も、アンフェアも持さない」「ウソもつき通せば〈事実〉となる」…

雲行きがちょっと怪しくなった日本国憲法を変えようという話。

 森さんは、日本国憲法第九条がどれだけすばらしいかも強く述べる。

自衛隊がつくられたとき、その名が「自衛隊」となった事実そのものが、「日本軍」と名乗りたくても名乗れなかった(遠慮せざるを得なかった)当時の政権の「苦渋」があらわれています。たとえ現実には「自衛隊」という名のれっきとした軍隊であろうとも)

 軍隊を持たないということは、相手の国を信ずるということ。

 その理念が憲法前文に高らかに謳われており、格調高いその文章には身ぶるいを禁じ得ない、と森さんは言う。私もまったく同感。

ちなみに、日本国憲法前文はこうです。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」

 

 森さんはマスメディアの世界によく通じている。

 新聞・テレビ・ネットなどのメディアを100%額面通り、無批判に信ずることの恐ろしさ。

「中立」を装った、「中立」という大義を掲げたメディアが、世論操作のためにさまざまな手を弄するのは、次々と新手を繰り出す「オレオレ詐欺」と似ている。

【引用】

「何かを映す。それは何かを隠すことでもある。…

多くの人は映像に激しく反応する。論理ではなく感情を刺激されるからだ。その結果として事件の普遍性が抜け落ちて、特異性ばかりが強調される。…

2014年11月、千葉県の九十九里浜に傷つきながら漂着したトドは、すぐに保護されて水族舘に運ばれ、幸せを願ってサチと命名された。

でも北海道では毎年、大規模なトドの駆除が行われていて、殺されたトドの肉は大和煮の缶詰として千歳空港で売られている。…

だから、メディアは、感情をあの手この手で刺激する。こうして社会に占める感情の領域が、一昔前に比べればとても大きくなった」

 

 ならば、たとえアリの一刺しでも、ブログ発信という一個人のすることでも、黙ってはいまい。

 

 この本に、次の一節があった。

           f:id:kame710:20180510140005g:plain

【引用】

「(カナダの街頭にたつ一人の青年。その眼は布で覆われている。青年の足もとには、「私はイスラム教徒です。テロリストと思われています。私はあなたを信頼します。あなたは私を信頼してくれますか。ならばどうかハグして(抱きしめて)ください」と書かれたボードが置かれている)できればネットの動画投稿サイトで、実際にこの動画を観てほしい。タイトルは「Blind Trust Project」」

ぜひとも、下をクリックしてください。

 

www.youtube.com

 他な街頭での映像もあるのでよろしかったらそっちもみてください。

(「Blind Trust Project」とネット検索)

 

※27日から6月2日まで休みます(みなさんのブログに訪ねられず、ゴメンなさい)

 

 

                 ちりとてちん

 

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