カメキチの目
前回、身体に障害を負ってから初めてひとりで、たった二駅だが、電車に乗って隣りの都市に行ったことを書いた。
そのとき、しみじみ、あらためて思った。「ああ、私は障害者だったのだ…」
10年近く身体障害者をやっている。
そんなに経っても、危うく死にかけた事故との遭遇、救急で助けられ入院した3か月余の病院生活は鮮明だ。
9.17のここで「日常の七不思議②」と題し、マイ仏壇を紹介したけれど、仏壇を拝められるのも命あればこそ。
だから、きょうのを②とすべきだった。
不思議といえば、いまこうして生きているということが、いちばんのフシギ。それは“奇跡”といえる。
さて。
木から落ち、脳ミソが飛び散ってもいいくらいの衝撃を受けたから、翌日から意識はあるものの一週間はウツラウツラ…していた。
言葉どおり一週間も寝ていれば、身体は固まってしまう。手足は寝返りをうつのでいいが、頭はそうでないこと、そして(聞いてはいたが)頭というものはいかに重い(脳ミソが少ないと思う私でさえ)かを痛感し、そのことでどれほど悩まされることになったか。
つまり、私の頭は下がったまま固まった。いっこうに起こせなかった。起こそう、上げようとしても上がらない。
なんでもないことができず、どれほど苦痛だったか。
だいぶんして、ある日、上がった。起こせた。
「見てください! 看護婦さん、ホレ」
嬉し涙こそ流さなかったが、子どものように喜んだ。
101 畳紙(たとう)
私はまったく知りませんでした。
「タトゥー」というのは、刺青(いれずみ)のようなものでしょうが、
こっちは関係ありません。
畳紙(たとう)は江戸時代のころ、結髪の道具や衣類を入れるため和紙でつくられたもので、きれいだったとのことです。
これは小さな折り紙ですが、本物の豪華さが想像できそうです。
きっと、朝ドラの「アサ」のような女性が使っていたんでしょうね。
まっ、庶民には縁がなかったので言葉も広くは知られていないのかもしれません。