カメキチの目
暮れのその日は『しまい天神』だった。
いつもの朝の掃除のとき、目にするカレンダーに載っていた。空が少し気になったが出かけることにした。
ウチの台所には「旧暦カレンダー」がつるしてある(こんなのはだれもくれないので書店で買う)。
これにはオマケに、伝統的な各地の祭りや市などの情報もあり、天神(菅原道真を祀る)さんの市も載っていた。
路線バスは大混雑。そこまでの三十分以上、立ちっぱなし。
ぎゅうぎゅうづめの車内で思い出した。
話① 退院後はじめて電車で旅したとき、とび上がるほどビックリしたことを。
人の迷惑ということをいちばん気にし、遠慮ぶかいサイ(ツレ)が、私を座らせようと乗り込む電車の座席確保のため、尻より先にカバンを置いた。
私は、その厚顔無恥ぶりではなく、彼女の心を想い泣けてきた。
今じゃ退院後9年。
おしくらまんじゅう並みの乗客の圧力に閉口したけれど、こっちも負けてはいない。おし返した。
おし返しながら続いて思いだした。
話② 退院するときには車イスを用意していた。とても歩けるとは思えなかったから。
自宅トイレの両脇には私が手をついて立ち上がれるよう、本をいっぱい段ボール箱につめた「台」をつくってくれていた。
退院後、すぐにリハビリ通院に通ったが、初めの日に、車イスではなく杖をついている私を目にし、担当の理学療法士さんは「へー、カメキチさん。杖ですかぁー」とイヤミを言った。
“イヤミ”じゃなかったのかもしれないが、杖で身体を支えるというのは慎重な理学療法士さんの意にそっていなかったらしい。
そう思われても、患者が医師や理学療法士の機嫌をうかがうのはおかしい。
こうしてバスに乗り、おしくらまんじゅうしているとはお釈迦さま、いや理学療法士さんも気がつくまい。
あんのじょう、天神さんはすごい人だった。
細心の注意をはらって歩いた。これもリハビリなのだ。
「なにもかもリハビリ」「生活がリハビリ」とかたく信じている。
あわよくばと期待していた掘り出しモノは見つからず、何も買わなかったが、よく歩いた。
面倒くさいのに、よく歩いた。
そうだ。ことしの抱負は、「あーあ面倒くさい」をあまり言わないことにするか。
117 火鉢
これは上から見たところ。黒い火鉢で、脚が四つあります(写真では見えない)。
まん中の赤いのは“火”(正確には“燠《おき》)”です。
私が子どもじぶんには一般的に使われていました。
その頃の(いなかの)庶民の暖房器具といえば、家ではこれと囲炉裏と炬燵と湯たんぽ。学校では(燃料は薪か石炭の)ダルマ(形がダルマさんみたい)ストーブでした。