カメキチの目
ウチのガラス窓越し、二、三百メートル先に山がみえる。山脈の一角だ。
まだくすんだ緑の中に、ポツンとうっすら。白に近いピンクが急にきのうから目立ち始めた。
山(無数の木立)の緑みどりの中に、ほんの数えるほどの一本桜がある。
じつは前もって、ブログ原稿あまりの短文で「原稿」というのがためらわれますが書いている。
きょう、アップしようとしていた中身がこれでいいもんかと迷っていた。
迷っていると、その原稿に書いている有名人が一本桜に見えてきた。
それはともかく。
2月27日の朝日新聞で、スポーツ欄のコラムを長年担当されていた西村欣也さんという記者さんが定年退職で最後になる記事を書かれていた。
書かれていたことは、格別おどろくようなことではなかったが、私は大きくうなづいた。「なるほどなぁー」
それはこうだった。二つあった。
①現在も大リーグで活躍中のイチロー選手も、もうそこを去った松井選手も、調子が悪いときもありミスすることもある。
試合終了後、記者から相手選手(投手)や相手チームがどうのこうのと聞かれたとき、彼らは似たようなことを答えたという。
「自分が一生懸命やるしかない」
なぜかというと、自分のことは自分でコントロール、管理ができる。しかし、相手選手や相手チームを自分がコントロールできるわけではない。
つまり、自分のことはどこまでも自分がしなければならない。相手のことにかまってはいる暇はない相手に適切な助言や忠告をしないというのじゃありません
②スピードスケートの清水選手は、試合前のプレッシャーから自分を解放するために、広大な宇宙の中の自分という存在。そのちっぽけさを思い、戦火の中で生き延びるために必死な人々のことを想うそうだ。
それから、かつてシドニーオリンピックでマラソンの高橋尚子選手がしたように、好きなミュージックを聴くのだそうである。つまりリラックス、リラックス…。
西村記者は、スポーツから、選手のみなさんから「生きるということ」のエキスをいっぱい学んだと、深い感謝の言葉でコラムを閉じておられた。
努力が大の苦手であるばかりか自分を律する、コントロールすることさえままならない私であるが、自分がこうなのは誰々のせいだ、と他の人に責任転嫁する生き方はしてこなかったつもりである。
けれど、自分の思いどおりにならないことを「社会」のせいにするところは、「誰々」がたくさん集まったものを社会とするなら、同じですかね。
あの一本桜のよう、凛としていたい。
でも、桜並木だって、それぞれ一本桜で、凛と生えていますね。