カメキチの目
『日本辺境論』の②を書くつもりでしたが、先に書きたくなることが出てきました。
先日みたテレビニュースで、「ロボットの見本市」が開催されたところ、さらなる無人化をはかろうとする中国企業の担当者が(ロボット技術を売ろうとする側の)日本企業のスタッフと談笑しているところを報じていた。
取材記者に、日本側も中国側もそろって熱をこめ「日本のロボット技術のすばらしさ」を説いていた。中国企業(そこは製造業だった)は現在、無人化率80%くらい。さらにそれを進めたいようだ。非無人化の20%は製品の「検品」。日本の先端技術で製造されたロボットは製品・商品の検査までやれるらしい。
ということは、ほとんど人は要らなくなる(テレビでは「ギィー カチャン ブゥー…」と器用な動き(作業)を繰りかえす長い手だけのようなロボットが映っていました。ちょっと不気味だった)。
要するに、人件費0。経営者はガッポがっぽと丸もうけ。自動化された(AIが組みこまれた)機械、つまりロボットが全行程はたらいてくれるわけです(経営者は初めに設備投資で工場にロボットをつぎこめばいい)。
経営者とか労働者、資本・投資、賃金、利益(もうけ)という「資本主義」の話は別にして、人間の生活・暮らしは現状よりラクにベンリにカイテキの道をまっしぐら。
「技術」は走りつづける。
これまでも「進歩」のレールを走りつづけたし、これからも走りつづけていくに違いない。
そのことが「幸せ」への道であるかのように。
(ドラエモンなら嬉しいのですが)
前の記事では触れませんでしたが、NHKドラマの『町工場の女』。これもとてもよかったです。
続きものだったのですがある回の話は、地元(名古屋が舞台)の中学校に主人公たちが「出張授業」し、中空のアルミ管を削ったりして生徒たちが自分だけのボールペンを作るのです。
授業の終わりころ、古い職人さん(どちらかというとジジイ)がちょっと涙もにじませ、朴訥とした口調で「コンピュータ技術などの発展で誰でも容易に(熟練しなくても)すばらしいモノを作れるようになったが(それ自体はとてもいいことだが)、モノ作りの喜びは自分で苦労してこそ(自分の技能で作ってこそ)味わえる、そういうモノ作りの喜びを味わって、感じてほしい」というようなことをしゃべるのです。聞いていてこっちも胸が熱くなりました。
前に読んだ鷲田さん(朝日新聞の『折々のことば』というコラムの著者)の本に書いてあった言葉が忘れられない。
「これ以上向こうに行くと危ないという感覚」
を持つことが「大人(おとな)」になるということではないかという話の中で述べられていたことですが、その「境界線」は文明、技術にだっていえると私は思いました。
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いっぽう、ニュースでは日本経済は好景気。失業率は最低。で、企業は人手確保がむずかしいそうな。
人手不足だそうな。
これはどういうことでしょう?
ようするに「マッチング」が悪い、合わないことでしょうか。