カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.7.19 行住坐臥

 

 

                                                  カメキチの目

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 きょうは久しぶりの禅語です。

 

      行 住 坐 臥(ぎょうじゅうざが)

 

 朝起きたら、両手に水をすくい、顔を洗う。

 きちんと掃除をし、すんだら食べものをいただく。

 夜には床に伏して、眠る。

 …

 そして、一日になんども立ったり坐ったり…

 

 そういう日常の生活、同じことの繰り返し。すべて

 仏法の修行なのだ。

 

 ときには、ふだんは無意識に繰り返している一挙手一投足、立ちい振る舞いを意識してみる。

 ていねいに、きちんと、やってみる。

 ときには、「威儀を正し」てみる。

 

 各地の寺で(禅寺だけではない)坐禅やさまざまな修行が行われているが、それ自体は別にむずかしい行為ではないようだ。

なかには比叡山の「千日回峰」みたいな超人的なのもあるようですが。

  仏法の修行というのは、要するに、シンプル・ライフを過ごす、繰り返すなかで、人間にほんとうに必要な資質を身につけ、モノゴトの是非(“善悪”に似ているようでも違う)を判断できるようになることだと思う。

 同時に要らないというものを捨て去る。

 

キリスト教イスラム教の信者さんであれ、無宗教の方であれ、ちょっとおもおもしい態度をとり、尊敬する偉い(エラそうな、ではありません)人になった気分を味わってみれば、ひょっとして、なにかの発見、閃きがあるかもしれないですね。

                

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私の身体は頭・手・足がバラバラに胴体にくっついた感じで、一体感がないのです。まるで壊れかかったロボットみたい。

だから、身体を動かすということが億劫で、「行住坐臥」は必須です。

テレビをみるときも、ときどき呪文のように、「行住坐臥」「ぎょうじゅうざが」ととなえ、背筋をシャンと伸ばすのであります。

(つい先日、胃がないのでよく噛みのみ込むのは常識なんですが、いつの間にか姿勢が悪くなっていたようで、食べた物が詰まり、呼吸がすんなりいかず、大げさですが死にそうになりました。ガンとかで胃を喪失した人はときどきなるようです。もっとも人によりますね)

 

                  ちりとてちん 

 

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