カメキチの目
久しぶりに日帰り湯に行った。
隠居身分なので日常的にリラックスといえるが、もっとリラックスした。
湯につかるのは、ほんとに気持ちいい。
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数々ある浴槽。
そのメインの一つに「日替わり湯」というのがあり、その日は「薬草風呂」。
黄柏(おうばく)・芍薬・茴香(ういきょう)・生姜などが入った布袋が湯の流れ出すところと客が出入りする湯ぶねの隅、手すりのところにつけてある。
スタッフがときどき、布袋を踏んだり、手でもみくだしたり、薬草のエキスを湯に溶けこまそうとまじめに働いておられる。
なかにはイヤイヤやっているスタッフもいようが、ほとんどの方は私たちが「いいなぁ…極楽ゴクラク…」と感じるよう労働されている。
「ご苦労さまです」と声をかけたくなるほどだ。
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そんないい気分だったのに、ユーウツになることがあった。もちろん、湯ではない。人間だ。
スタッフの方にではなく、客のあるオッサンに。
自分も立派な「オッサン」(いや、ジジイですが、私はその男性にわざわざ「オッサン」と呼びたくなった。ふつうの方、ちょっと好感のもてる方は「おじさん」)
この日の「薬草湯」は人気が高く、大勢の人が出入りし、賑やかだった。
そのオッサンは、(ずっと前にもここで書いたことでありますが)湯ぶねに出入りする手すりのそばにデンと居すわって(浸かって)おられた。
この湯ぶねに限らないけれど、ときどきそんな人に出あいます。
私のような平衡障害の者には、身体のバランスとるために、手すりは欠かせない。
ほとんどの人にはなんでもないことでも、ある人にとっては困ることがある。
浸からなければすむことですが、来たからには浸かりたい。
ガマンすればすんでしまうことのような、ちっともたいしたことではない不愉快、ユーウツ。
反対に人から受けた小さな親切。たとえば、エレベーターに乗ったとき、杖ついたこっちの姿をみとめ、降りるとき、開くボタンを押したままにしてくださる人。あとでその方の背に掌を合わせたくなる。
人生では、こんなちっぽけなできごとが案外、生きるエネルギーを左右するのではなかろうか。
私よりもっと歳とった方で似たような歩き方をされる方があるが、見た目にすぐわかるのか、察したらちゃんとよけてあげていた。
こちらは中途半端な年寄りで、平衡障害(風呂場では杖をつきません)は外見ではわからないので、しかたないかといつものようにあきらめる。
で、あきらめた後の、私の選択肢は二つしかない。
一つ目。面倒くさいが、いちいち「すみませんが…」と言うか。
二つ目。そのオッサンの上がるのを待つ。
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【自戒をこめて 気をつけなければならぬこと】
いろいろな意味で、人を外見だけで見ないこと
テレビでみるまで知らなかったのですが、乳母車・バギーをたたまないで電車に乗る親(とくに母)子(赤ちゃんや幼児)には、病気とか障害でそうせざるをえない場合があるとのことです。
「なんだぁ?たためばいいのに。迷惑な…」私は白い目でみたことがありました。