カメキチの目
『強い者は生き残れない』を書いたときブックマークに、ある方が内田樹という人文系の学者さんのブログ記事を教えてくださった。
(Kenchan3さん、とてもよかったです。ありがとうございました)
ところで、ご紹介の記事を多くの方に読んでいただきたく、《前に内田さんの本を読んだとき、ご本人が『ブログで書いたこと。気にいったら著作権など問わないから勝手に使っていい』とあったので》ここにも貼りつけさせていただきました。
http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.php
内田さん、ありがとうございます。
その記事で内田さんは、有名な映画『七人の侍』の主役七人それぞれの個性を論じ、その個性がうまくかみ合って結びついたとき、つまりお互いが助け合い、力を合わせるとき、そこに1+1=2ではなく4にも5にもなることを「組織論」として展開されていた。
それは「映画」のことと言ってしまえばそれまでですが、現実では「なかなかそうは問屋がおろさない」物語を、「さもありなん」と観客に感じさせるように仕立てあげた黒澤明監督のこの作品を、内田さんの記事を通してあらためて私はスゴイと思いました。
ついでに言わせてください。同監督の『生きる』は日本映画の金字塔(私の長い人生でも鑑賞したのは指折り数えられるほど少ないですが)とひとり思っています。
内田さんのすばらしい話に、私は『七人の侍』のストーリーも思いだし、感動さえした。
内田さんは、その話の前段、とっかかりに、ある共同体(そのレベルはさまざまですが、要はいろいろな人の集まった「まとまりのある」集団)が持続するには何が必要か、たいせつかということを述べられている。
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共同体にはいろいろなメンバーがいる。
同質集団ではない限り、なかには必ず、「マイナーメンバー」(子ども・年寄り・障害者など社会的弱者や、2月9日記事の「『普通』を考える図書館」でいった「ゲイだったりホームレスだったり…」マイノリティーの人たち)もいるはずである。
彼らは援助されなければ生きていけない場合さえある人々だ。
彼らを援助するとき、その人たちを今の自分と重ねる想像力をもたない人間(つまり、「援助すること」を「自分は損をしている」と感じる人)は共同体に参加する資格がない。
誰もが、かつては「子ども」だったし、「年寄り」になるし、「障害者」になるかもしれない。
ゲイに生まれついたかもしれないし、シリアや北朝鮮に生まれていたかもしれない。
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そうして、
「七人の侍」組織論と、「マイナーメンバー」を援助し守らなければその共同体そのものを維持できないという話はきちんとつながるのである。
ぜひ、上記のブログ記事を直接お読みになってください。
(九尾さん、ぜひとも読んでみてください。もうお読みになられましたかね)
そうそう、思いだしました。『若者よ、マルクスを読もう』という内田さんの本(を読まずして)に刺激され、同名の記事を書いたことありました。