カメキチの目
【前おき】------------
ふと思った。
「私は友人が少ない」
といって、嘆いているのじゃありません。
今もつき合いのある知人、友人というのはあまりいない。
というか、ほとんどいない。
といって、自分ではフレンドリーでないとは思っていません。
働いていたところは小さな職場で(しかも女性が圧倒的に多かったこともあり)、すでに家族もち。そのうえ収入も少なかったので、学生時代の友人ともつき合う余裕はなく、自然に疎遠となってしまった。
だからか、もともと自分中心、独善的なところが他人とのつき合いがないことでヨソ・外からの空気が入らず、「井の中の蛙」状態が続き、ますますわがままになった。
仕事している間は、いくら小さな人間関係でも、あるだけマシだった。
そこでの相手は他人だから、いくら自分中心人間でも、少しは相手を(誰かサンのように)「忖度(ソンタク)」する。卑屈にならない程度には人間関係に気を遣う。
しかし、親しくはならなくていい。仕事だから。
先にも書いたが、女性が多いので親しくなってはまずい。
もちろん、親しさどころか、仕事をこえる関係など皆無だった。
退職してからは、言葉の正しい意味で、ツレと顔を合わせっきりの、正月の日々である。
「毎日正月」といっても楽しいとは限らない。ふつう正月が楽しいのは風雪もあった364日を乗りこえてきたからでしょう。
長い前置きになりゴメンなさい。
【本題】--------
ブログはスゴイ!
退職して、ブログの存在を知ってはじめたが、何か月もほんの数人の方だけが読んでくださった。
いまは増え、多くの方々にお読みいただき、読ませていただいている。ありがとうございます。
そして、知りあった方たちに心地よい風を通していただいた。
前にも書いたが、さまざまなことを感じ、知り、学んでいる。
ブログを始め、「世の中はとてつもなく広い」ということをしみじみ感じた。
たくさんの方が、いろいろに生きておられる。ということを「知る」のを通りこし、「感じている」。
自分のちっぽけな世界は広がり、相対化されてゆく。
そりゃあ、ネットには「直接性」はないが、(それを「仮想現実」と言おうが、れっきとした)「現実」である。
ブログを書く方の存在を強く感じる。
必要とあらばコミュニケーションもできます。
いま、「…存在を強く感じる」と書いたが、それは若いころよく聞いた「実存」みたいな感じ。
「ジ・ツ・ゾ・ン…何それ?」
いまでもちょっとかたい本を読むと出てくる。
詳しく知りたい方はネット検索してください。頭が痛くなるようなことがいっぱい出ます。
ある記事を書かれた方が、「いまそこ(パソコンを通して)におられる、そしてこんなこと(記事のなかみ)を考え、感じ、思っておられるんだなぁ」という感覚。
画面から息づかい、呼吸が聴こえてくる。