カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.2.2 為末 大 (後)

今日は釈さんの話です。

 

③ 釈:(現在の科学技術の発展は)

いくらでも(欲望満足のための)代替手段(そのうち科学技術の発展により実現できる)がある

ように思わされてしまう。

そのために、現実には諦めて受け入れるしかないことも、諦め切れなくなっています。

(物事には)「諦める領域」「諦めない領域」(があることを人々は知らなければならない)

 釈:

「諦める領域」「諦めない領域」があることは)現代人にこそ必要なイニシエーション

通過儀礼」のようなものを通して自分の欲望に区切りをつけること(は)現代人に必要な知恵

 

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■ すべての欲望が(「直」「代替」にかかわらず)科学技術の発展によって叶う、

果たされてしまうかのような錯覚を抱いてしまいそうになる現代。

(「リアル」「バーチャル」と一応は区別されるけれど)

現時点では不可能なことでも、科学技術が発展すれば(確実なまでに「する」)

果たされる。可能になる。

 

少数の人々は「これでいいじゃないか」と満足し、ストップしても、たぶん、

多くの人々は「まだまだ」「もっともっと」とアクセルを踏み続ける。

(現代人には昔の人々の生活感覚・意識は分からないけれど、神仏や超越者に祈るしか生きる術しか

なかった昔の暮らしには満足していなかったと想う。

少しでも長く生きたい、楽しい一生を送りたいという欲望、欲求が科学技術をおこし、それが進歩

発展していったあげく、ついに現代の文明に達した。

その科学技術文明の到達点を見ると、科学技術は人間にとっての「必然」、「絶対的」なものであり

「これでいいよ」と満足しストップをかけられるのものではないのだと痛感する。

 

そうならば、「人間の幸福とは何か」ということを真剣に考えた上で、それを基礎に、

これからの科学技術の方向性が出されてほしい)

 

■ これ以上、アクセルを踏み続けると(たとえ科学技術の発展でそれが可能でも)

自然の中の一生物過ぎないヒトが、人間ではあり得なくなるという未来が

 

いまこそ、諦める領域」と「諦めない領域の二つをしっかりと分けることの

大切さをあらためて思った。

(一般人が知らないうちに科学技術は国家の命で、着々と研究・開発されつつある。

コトは引き返せないギリギリのところまできているのだろう。

 

         


やっぱり私も月は「眺めるもの」であって「行くもの」ではないとあらめて思った)

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■ 科学技術の進歩のおかげをすべての人が享受でき、それが幸せにつながれば

いいけれど、

(本当につながるかどうか、わからない。

「幸せ」を「幸福感」とすれば、それは感情の一つだから、その時その場で終わることになるかも。

少なくとも「幸福」そのものについて考えてみることが大事だと思う) 

 

たとえば「過疎」地域の交通という一部の人々の生活、暮らしにとっての大切な

社会的な問題においては、ほとんど活かされいない、役に立っていない。

(「格差」は単に所得のことだけではなく、科学技術の享受という面でも確実に広がっている。

《もっとも考えようによれば余りあるお金があれば、すべてがそれで解決できる。

「交通弱者」も「買い物格差」も「医療格差」もないのだろう》

交通問題→

人手不足や赤字《経営のため、定期路線バスの廃止や本数軽減が全国各地で起きている。

当該自治体は困った住民の対策として独自に「地域バス」を運営したり、スマホ「配車アプリ」

自宅など指定場所までタクシーに来てもらう《そのタクシー会社には補助金などしているけれど、

自治体の努力に任されているのだろうか?

《交通事故対策に対策に高齢者の免許証返上が叫ばれているけど、過疎地では自家用車が不可欠の足と

なっている。それが分かっていながら国は自治体に任せている。

任せるならカネを出せ! ないとは言わせない。

日本銀行券」を必要なだけ刷ればいい。

それでいまのお金の価値が減っても、多くの国民は耐える。

 

能登地震への全国からのさまざま支援を見ればわかること

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通過儀礼」のようなもの」「イニシエーション儀式」の大切さ。

言い換えれば、「形」の大切さ。

 

私は若いころ、大切なのは(自慢できるほどのものはなくても)中身、「形や格好、

外見はどうでもいい」と思っていたけれど、歳を取るにしたがって変わった。

とくに障害者となってからは、自分の障害(の「形」に)慣れるということで、

「形」というものの大切さを強く感じるようになった。

 

これまで出来ていたことが障害の原因、脳外傷によって出来なくなった。

新たに「諦める領域」と「諦めない領域」がある身体になったわけ。

 

「形」というものは、それを意識する人によって、それこそさまざまな「形」で

活かすことができるのではないだろうか。

「何が成人式!へッ…」と感じていたけれど、いまではイニシエーション

通過儀礼のようなもの」もいいと思えるように変わった。

 

 

 

 

 

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                             ちりとてちん

今日の一句

たくましき 桶の蓋とづる 氷かな  来山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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