カメキチの目
「石ころ」というテーマが目にとまったので、Eテレ『美の壺』という番組をみた。
海辺を旅したら、はるかな水平線や潮の干満だけでなく、海岸や砂浜の石ころにも目がいく。
気にいったのを探す。拾う。
(石ころだけじゃもったいないので、貝殻などのお気にいりも探す。これを「ピーチコーミング」と呼ぶことをブログで知りました)
探しても見つからなければ妥協する。
「しかたないか…。まあこれでガマンするか…」
しかたなく拾った石ころでも、じっと見つめているうちに「きれい」「美しい」と思えることもある。
(そうなれば儲けものだが、別にならなくてもいい)
「きれい」でなく「ふつう」でも、ちゃんと記念の役目ははたしてくれる。旅の思いでをひき出してくれる。
拾った後、気をつけなければならないことがある。
拾ったものを「忘れるはずがない」と、そのときは高をくくっているが、帰ってから前の旅で拾った石ころに混ぜるとダメである。
(どれがいつの旅のときのものかがわからなくなる。それがイヤなら、面倒くさがらず油性のペンで記録しておこう)
よほど特徴ある石ころでないと、確実に忘れる。
(欲をだし、拾いすぎるのもよくない。だいいち重くなる。二つ三つにしておきたい)
【余談】
私は中学生のころから道ばたに転がっているのもたまに意識してみた(いまも変わらない)。
その石ころの由来や行く末などを想ってみるのが楽しかった。
それらが「石ころ」と呼ばれるようになるまでどれだけいろいろな過去、歴史があったことだろう。元はきっと「岩盤」といわれる塊であったに違いない。岩から離れ、初めはゴツゴツしていたのに、絶えまのない風化や浸食を受けて小さくなり、丸くなったのだろう。
人間もいろいろあって、角ばったり尖ったりしたところが世間という荒波にもまれ削られ、(老いると)丸くなるというが…
(ふつうはそうかもしれないが、「老いて怒りっぽくなる」こともあるというし、どうやら私はそっちらしい)
ところで、番組をみてビックリした。
「たかが石ころ、されど石ころ」
(このユーチューブをご覧ください。「石花(いしはな)」の動画を検索されるとたくさん出てきます。「石花」は「ストーンフラワー」「ロックバランスィング」ともいう)
ともかく驚いた。不揃いの石ころを根気よく、バランスをとって積みあげる。まったくフシギ、(タネのない)マジックをみているようだった。
(精神修養だなあと思いました。 昔、登山していたときに「ケルン」という積み石によく出あいましたが、似ているようで似ていない)
突きつめていえば、人を感動させる創作が「芸術」というものだろう。
そうならば、これはまさしく芸術だ。